三月の花3



村山 孚氏が書かれた中国の思想史『孫子、呉子』には、実際には、このほかに『尉繚子』、『六韜』、『三略』、『司馬法』、『李衛公門対』、『孫臏兵法』が入っています。


こうした名称を挙げますと、なんだか難しい本のようですが、老子や荘子に比較すると中身は実にわかりやすいものです。つまり、How to ものですね。時代的には、二千五百年前から最も新しいもので千二百年前に成立した兵法書ですから当然、当時の老子、荘子などの思想的背景から生まれているといっても過言ではないでしょう。


こうした、兵法書を西洋の指導者(ナポレオンなど)が座右の書として研究していたと云いますから、東洋の思想が西洋でも立派に受け入れられた事実から、流石は中国五千年の歴史と言いたいです。もちろん、日本の武家時代にもこうした中国の兵法書が盛んに取り入れられているのは皆さんご承知のとおりです。


さて、私の仕事柄からして、こうした歴史的兵法書を一度も手にしていないのは不自然かもしれませんが、弁解として云わせて貰いますと、たとえば国と国との戦いでは、兵法より、武器のもつ効果の方が絶大です。それは近代兵器が核兵器まで行き着いてしまったことからもそう云えます。(但し、ゲリラ戦やテロなどに対してはまだ、有効でしょう。)


企業経営も、ある意味では企業と企業との戦いでもあります。そうした時にこうした兵法は役立つかもしれません。しかし、色々な経営戦略や戦術書において、書店に出回っているものの内容には、すでにそうした兵法が下敷きとなっており、なおもっと高度な戦略、戦術が書かれた物も多数を占めています。


ですから、今回この書物を読んでも特に新しく学ぶところはないのです。しかし、それでも読むと面白いところがあるのが古典の良いところでしょう。そして、こんなに古くからこうしたものが確立してあることに驚きを感じます。また、再確認としては老子や荘子の思想を哲学として受け止めるとすると、この孫子以下、この書に書かれてある内容は、そうした哲学に裏付けされたかなり科学的かつ、実用的なロジックを有していると言えます。


しかし、この古典的な科学的かつ、実用的なロジックは残念ながら今日では当たり前の考えであってあまり参考にもなりませんし、How to ものとしては陳腐なものです。


ところが、ここに書かれてある人間の 『情』 を扱った兵法は、これは今日でも大変有効です。特に、経営においては、ロジックも大切ですが、人はつまるところロジックだけでは動かず、やはり『情』で動きますから、人の運用としての方法論としては大変有効です。いつの時代もそうした『情』だけは変わらないことをあらためて再認識させられます。


『六韜』にある『武韜』には、「武力によらず敵を伐つ法」がありますが、これなんぞは、まさしく人間の欲を活用した方法論でしょう。敵の君主に宝物や美女を与えることで遊興にふけらせて、堕落させる方法などは笑ってしまう戦術で面白いですね。


ところで、この訳本の著者である村山 孚氏が「理想的な組織」として述べておられるところが、孫子の「兵の形は水に象る」の後にあります。それは、「組織はひとたび形成されると、その目的を離れ、組織自身を維持するための動きをはじめる。官僚制度はその端的な例である。組織を形骸化させないためには、無組織の組織こそ理想的なものといえよう。流動的システムなどが強調されだしたのはそのあらわれである。」と記しておられます。


こうしたことは今日では、国の行政だけでなく、地方の行政そして、行き着くところは私たちが住んでいる町内会でもそんな状況が多々見受けられます。そうした色々な硬直化した組織は、特にセレモニーを好みます。所謂、儀式さえやっていれば、目的を果たしたとして関係者は満足するのです。


ごく身近なPTA活動や、赤い羽根募金活動もそんなところがあります。募金活動が組織化されると、効率化を求め、町内会の組費から募金もいつの間にか自動引き落としの定額支払いの"税金"になってしまっているのが実情です。


一度、その募金を拒否したら・・・どうなるのかを聞いてみますと、なんと市からの自治会助成金が0になって自治会が運営できないようになっています。そして、その募金の割り当て金額はなんと、助成金の半分ですから笑ってしまいます。それでは、その分を最初から差し引いて助成金を渡せばよいものを、わざわざお金をあっちにやったりこっちにやったりして・・・形式のみを活かしています。一体、個人としての募金の精神は何処へいったのでしょうか?


話が、庶民じみたことになりましたが、そうした庶民の現実生活の中に、すべての真実が埋もれています。ですから無視もできません。


最後に、『六韜』 の 『竜韜』 に、「人の内心を見破る法」があり、八つの方法があります。これはかなり的を得ていて経営者にとっては最高の人を見破る手段だと思います。


① 質問してみて、どの程度理解しているかを観察する。

② 追求してみて、とっさの反応を観察する。

③ 間者をさしむけて内通を誘い、その誠実さを観察する。

④ 秘密を打ち明けて、その人徳を観察する。

⑤ 財政を扱わせて、正直かどうかを観察する。

⑥ 女を近づけてみて、人物の堅さを観察する。

⑦ 困難な仕事を与えてみて、勇気があるかを観察する。

⑧ 酒に酔わせてみて、その態度を観察する。


皆さんは、この方法を読まれてどう思われますか?


私は、なるほどと思いつつもなんだか・・・そうして人を試して観察することが、大変おぞましく思えて仕方がありません。つまり、自分のことはさておいて、人をそんな風に故意に試して覚めた目でみることができるのか?というところが心に引っかかるのです。自然な状況の中でそうした場面に出くわした時は、そんな観察もありえますが、故意にやるのは、まるで『おとり捜査』みたいですね。


人を最初から信用していない・・・ということですね。それもひとつの考え方でしょうが、それだと生きていく上で大変息苦しいものだとも思えます。だからといって、人を信じて裏切られるのも癪ですから、世渡りは難しい。ここは、まあ処世術のツールとして頭の隅に留めて、いざと言う時に見破る術として、心得ておくべきでしょう。



by 大藪光政