菜の花


孟子と言えば高校で漢文を習えば必ず出てくる偉人の一人です。そして教育者としての強いイメージと、道徳心の塊みたいな、「なんだ・・・また説教か!」といった気持ちになります。


それは今思うと、「学校教育のあり方が悪かったのでは?」と、感じます。それと歳をとれば孟子の言葉を再度読み直したり、まだ知らなかった言葉に出くわしたりした時、人生経験も重なってか?不思議と共感を呼びます。


孟子に対するイメージに、変なアレルギーが過去において、己の体質に出来ていたように思えます。そこで、この書物を紐解くことで、中国の思想が如何に日本に影響を与えたかがよくわかり、日本語の言葉の語源がどこから来たかも教えられました。


例えば、明治維新からは、『学校』とか『教育』そして、『学問』と云った言葉が日常で使われるようになりましたが、こうした言葉の出典には、孟子が深く関与しています。そうそう、奨学金で有名な『育英』という言葉もそうなのです。


そうしてみますと、日本語のほとんどが中国の言葉からの出典といって過言ではないようです。また、こうした中国から輸入された言葉の『水』は、日本の文化の中で濾過され、着色されて違った飲み物となってしまっていることが多々あるようです。


中にはまったく違った意味のものになってしまったものもありますね。それはちょうど、『真水』が『海水』になったような別な意味になってしまっているのもありますから驚きです。それには使う人が自分に合った都合のよい解釈をする場合もありますし、生活環境の違いからそうなった場合もあります。


英語では単語は、英文字の発音から意味を察する必要がありますが、日本語では、ひらがなやカタカタナは英語と同じですが、漢字はその形から直接その意味を読み取ることができます。それは、人間の脳の使い方に大きな違いがあるということで脳科学では、すでに知られたことです。


現代の日本語は、ある意味でインターナショナルです。それは、世界共通語という意味ではなく、世界中の言葉が混じった言語になってしまっているという意味です。西洋からの文化が日本に入ってきたときからポルトガル語を始めとした、『カステラ』とか、『ガラス』とかいった日常的な言葉から、昨今では色んな国々の外来語が帰化しています。中には使わなくなった死語もありますが・・・常に多様性を持とうとしているのは事実です。


そうした言語能力を持った日本人にとって、緻密な言語を操る能力を持つことと、微細加工や精密加工、高度なアセンブルなどの技術を持つこととは、無関係ではないと言えます。そして古くから日本人の職人は世界的な評価を得ています。


話を孟子に戻しますと、孔子が『聖人』と云われ、孟子は『亜聖人』と言われているそうです。つまり『亜』は、次につぐという意味から孔子に次ぐ人であるという意味でしょう。そして、その家業も孔子と同じく、前回 『孔子』について現代で云うコンサルタント職みたいだと言いましたが、孟子も要するにコンサルティングをやって孔子と同じく晩年は、弟子に教えを説いた一生だったようです。


孟子は、孔子を尊敬していて孔子の教えと同じ考えをもったところがある、そうした引用を色々この本では書かれています。若干発言については、語彙が違いますが、意味は同じと判断できるようです。


そこで孟子は、孔子の後百有余年たった後に活躍したと言われていますが、孔子の考えからバージョンアップした『孟子の考えは如何に?』と、いったところをこの本で知ることになりますが、この本は残念ながら300ページ足らずの孟子の紹介ですので、ほんのイントロぐらいの内容ですから物足りなさを感じました。


でも、流石は大学教授です。学問的に5W1Hをしっかり押さえて、なるべく事実のみが書かれています。著者の主観は前回の孔子を書かれた加地さんよりもぐっと少ないです。「ここは私の私見ですが・・・」と前置きしてでも、鈴木氏の想像とか鈴木氏の独特の解釈が欲しかったですね。


ところで孟子の言葉に出典で『仁義』という言葉がありますが、これを現代風に捉えようとしますと・・・何と言ってもヤクザ映画の『仁義無き戦い』とか『仁義を切る』といった悪いイメージがつきまといます。でも、意味が随分違うようです。『仁』と『義』にはそれぞれ深い意味があるようで、『仁』とは「人を愛する」と孔子が説いていて、孟子の『仁』の理解とまったく一致しているとのことです。


ところが『義』については、論語にしきりに示されるが、孔子は『義』が何であるかを説くことはしていないとのことです。孟子は、『義』が「人の踏むべき正道」と理解しているようですが、孔子はそれらを別次元として独立して用いたようですが、孟子は好んで『仁義』と一緒につけた言い方をしていたとのことです。


こうした類の言葉には、『礼儀』といった言葉も現代とは違ったニュアンスの言葉として当時使われていたようですね。


さてさて、こうして書いて行きますと紙面がつきませんし、『浩然の気』とか、『民を貴しと為す』そして、『王道と覇道』或いは、『性善説』といった言葉の探求がたくさん出て来ます。どれをとってもいろいろと考えてみたい内容ばかりです。


最後のところで目に止まったのが、「学問の道は、他無し、其の放心を求むるのみ。」といった名言に惹かれました。自己の失われかけている『本心』をしっかりとつかむことが、取りも直さず人間にとっての本当の学問修養というべきものなのだと孟子晩年の頃、そう断言したそうです。この『本心』の意味も現代の意味とは違います。


昨日の朝刊に、福田総理が国会の施政方針演説で、「井戸を掘るなら、水が湧くまで掘れ」との名言を引用されたそうですが、その出典は江戸末期から大正にかけて貧農の救済に生涯をささげ、『聖農』として称えられた石川理紀之助の言葉を引用、と書かれていましたが、ちょうど図書館で孟子関係の書物を開いていたところ、なんと同じ出典が記されていました。


この記事を書いた記者は、恐らく中国の故事であることを知らなかったのでしょう。こうしたことを考えますと、石川理紀之助は、中国の思想を勉強した人でしょう。それを自分が言ったことにしたのか、回りがそう思ったかはわかりませんが、こうした格言は言い回しを変えれば、同じ意味の言葉がいくつでも出来てきます。


ですから、大切なことはそうした格言を自身の血となり、肉となりとして行動に如何に反映させ切るか?に掛かっているようです。人間は不思議なもので常日頃、そうした言葉や考え方を深く探求すれば自ずとそれが身から染み出てくるものです。そしてそれが自然体で行動として出てくれば理想なのでしょう。


田舎の図書館には、立派な中国の思想を書いた書物が、堂々と並べておいてあります。しかし、誰も手につけてはいないようです。何故ならば、何時行ってもそこが歯抜けになったところを見たことが無いからです。その本ひとつを手にしてみますと、まるでマイクロフイルムのように詰まっていて、借りて読むにはあまりにも小さな文字と膨大なページで書かれています。これを見ただけで圧倒されています。


でも、ひとつひとつを紐解いてゆけば、大変面白そうな内容です。漢文訳が付いていますから、現代人は読むのは楽です。しかし当時の人が思っていることをどこまで推測できるかとか、自分がそれを読んで、どう発展させきるかとなりますと大変です。


これが都市部の図書館だと・・・そして東洋だけでなく、西洋の思想が書かれた書籍の山を見詰めた時、自分の人生の時間で、どこまで辿り着けるか?裾野で終わってしまいそうです。朱子が『少年老い易く学成り難し』といった気持ちが良くわかります。また現代は積年のたくさんの書物が溜まっていますから、昔よりも大変です・・・これが未来の読者となりますと・・・もう絶句でしょうね。


意訳ですが、本居宣長がもっとも弟子に言いたかった事、それは「学問を学ぶ方法を弟子によく聞かれるので仕方なしに書いてはみたが、学び方は人によりけりだから、一番大切なことは年月掛けて、たゆまず励み勤めることが肝心である」と、歌で宣長自身の気持ちを述べています。ですから、ここはやはり年月掛けて古典に親しむしかありませんね。


読書で心を磨くと言うことを通して、自身の死の直前に際して、悟れるか悟れないかそれはわかりませんが・・・恐らく悟るということはないでしょうから、せめて大きな気持ちで安らかになれる心境に辿り着けば良しとしなければと思います。


by 大藪光政