先日、馳文部大臣が、「ゆとり教育から決別し、量を減らさずに理解を深める学習を進める」と言っていました。
ゆとり教育はとうの昔に終わっており、今更決別を宣言する意味がちっと理解出来ませんでしたが、量を減らさずに理解を深めるということは、もっと勉強時間を増やすという単純な話なのでしょう。
しかし、なぜ、量を減らすことに抵抗するのでしょうか?そもそも、ゆとり教育がなぜ上手くいかなかったのかという検証は行われたのでしょうか?
ゆとり教育が失敗した理由は明白です。
まず、ゆとり教育は突然始まりました。徐々に学習量を減らすのではなく、一気に減りました。普通そんな大胆なことをしますか?
徐々に減らしていきながら効果を検証して、上手くいかなかったらやり方を変えるとかするものではないでしょうか?
そして、一転失敗したとなったら、ゆとりは失敗だったと、ゆとり以前より学習量を一気に増やしました。
まるで、子どもです。こんなでたらめな学習方針の変更は決していい結果を生みません。
検証しながら徐々に変革していくべきではないでしょうか?
現在、学習内容はどんどんふえてパンク状態です。果たして、減らしてもいい内容など存在しないのでしょうか?
例えば、「バネばかりの読み方」、今時どこにバネばかりがあるのでしょうか?勉強用に学校にあるくらいではないでしょうか?こんな物を学ぶ必要がどこにあるのでしょうか?
こういったものは、一つ一つ精査していけばかなりあるのではないでしょうか?そうやって、それを学ぶ意味がなくなってしまったものからでも減らしていけばいいのではないでしょうか?
ゆとりに失敗したから、学習内容は減らさない!なんとも軽薄な答えの出し方ではないでしょうか?
もし、冒頭の言葉が長谷大臣自身の言葉だとしたら、学校の状況を本当に理解しているとは思えない発言です。しかし、あの言葉を文科省の役人が作った言葉だとしたら、日本の教育は絶望的な状況にあると言わざるおえません。
ある親御さんは、もう、学校の勉強には期待しないとまで言っていました。