生きていれば毎日、何かしら修行になることがあります。
何かしら学ぶことがあります。
               アルボムッレ・スマナサーラ
                 「ブッダの智慧に学んで子育てのプロになる」
 
真に正しい道をもとめようとする人のまえには、吉凶禍福栄辱、逆境順境は、すべて魂の鍛錬修行をたすける糧とならないものはないのであります。
               白隠禅師 「遠羅天釜(おらてがま)」
 
  アルボムッレ・スマナサーラ師は、シリーズ2冊累計40万部突破、仏教書としては異例の大ヒットとなった「怒らないこと」などで知られるスリランカの僧侶です。
 
 白隠禅師は江戸時代の僧侶で、日蓮宗の拠り所の経典「妙法蓮華経(法華経)」の熱心な信仰者としても知られています。
 20代で重い神経症と結核を患い命の危機に陥りますが、自ら編み出した健康法により回復、84歳という当時としては大変な長寿を全うされました。
 その健康法の1つである呼吸法は現代風にアレンジされ、モデルの押切もえさんなど多くの方が実践しています。詳しくは「呼吸美メソッド」(椎名由紀)「白隠禅師 健康法と逸話」(直木公彦)などをご覧下さい。
 
 さて、東京オリンピックが何かと話題ですが、現在エリートアカデミーというトップアスリート養成施設があるそうです。若い才能を伸ばすのは大事ですし、世界での活躍は多くの方に活力を与える、とても立派な事だと思います。  
 一方、結果を残せる選手は一握りであり、上手くいかなかった時のリスクを中学生や高校生がどれだけ認識しているか、心配はあります。思うような成果が出なくても、希有な経験を生かしてほしいと思います。
 
 スポーツに限らず、どんな世界でも「エリートへの道」があり、これはお坊さんの世界も例外ではありません。
 お坊さんエリートの道は(私見ですが)、十代の頃からお寺やその寮に住み込んで勉強し、お経や作法を習い、仏教系大学卒業後は本山などで働き、やがて実家のお寺に戻る、という感じでしょうか。
 こうした方々が各宗派の貴重な人材であるのは間違いありません。しかし実際の所、熱心な活動や新しい取り組みで注目されるのは「非エリート」である事が多いのです。
 
 前職が刑事、記者、作家、スポーツ選手など、異色の経歴を持つお坊さんは多くいます。そしてこうした人々は、そのお話や活動に魅力があります(もちろん例外はありますが・・・)。
 
 寺の息子だがお坊さんになるのが嫌で海外へ行ったものの挫折、仕方なくお坊さんになったけれど、やがて仏教の魅力に取り付かれ熱心な布教で注目された、という方もいます。
 ずいぶん回り道をしたように見えますが、一見無駄に思える時期が人生の大きな力になった、という事は珍しくありません。過去の価値は今の自分が決められます。
 
 そして、「絶対に成長する」という信念があれば、たとえ苦しくても全ての出来事は修行の場、学びの場となり、幸せへ向かう良い機会になると思うのです。
(なお、今回の白隠禅師の言葉は直木公彦氏による意訳です)
 
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