誰にでもある宝物

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 江戸時代の学者、中江藤樹は四十一才という若さで亡くなりましたが、今日でも多くの尊敬を集め「近江聖人」と呼ばれています。
 
 ある夜、藤樹が山道を歩いていると、突然目の前に山賊が現れました。
「こんな時間にここを通ったのがお前の運の尽きだ。命が惜しければ、着ている物、持っている物、全部ここへ置いていけ」
 そう言われた藤樹は平然として、
「ああそうか、それではお前の言う通り、ここに全部置いていこう。まだまだ命が惜しいからな」と言い、着物も帯も財布も置き、裸になって立ち去ろうとしました。
 そのあまりの潔さに山賊は驚きました。
「おいちょっと待て。やけに落ち着いているが、お前は一体何者なんだ」
「私が何者かだって?見ての通り、ただの裸の人間だよ」
「そういう事ではない!どんな仕事をしているんだ、と聞いているのだ」
「儒学という、尊い学問を教えるのが私の仕事だ。誰もが心の中に持っている、そんな宝物に磨きをかけるのが役目だ。この宝は、仏教では仏心とも言われている」
「心の宝?仏心?それは俺にもあるのか?あるなら見せてみろ!」
「分かった。見せてやるから、着ている物を全部脱いでみろ」
 そう言われた山賊は、仕方なくふんどし一枚の姿になりました。
「ほら、何をしている。そのふんどしもさっさと取れ。そこらの動物を見てみろ。ふんどしなどしていないではないか」
「当たり前だ!人間は、そこらの動物とは違う」
「そこだ!お前は今、人間は他の動物とは違う、と言ったな。それが良心であり、仏心なのだ。人間が他の動物と違うのは、まずは恥を知る、という事だ。人間なら誰しも、恥になるような事をしてはいけない。お前は心の宝という尊いものを持ちながら、何という浅ましい生き方をしているんだ」
 
 その藤樹の言葉と佇まいに山賊は大きな衝撃を受け、気づくと目に涙を浮かべ謝り、やがて弟子となって立派な生涯を送った、という話が伝わっています。
 
 「仏心」とは、大いなる慈悲の心、といった意味合いです。
 皆様にも苦手な人がいると思いますが、そんな相手と話す時、「この人が幸せでありますように」と願いながらしゃべると態度も柔らかくなり、自然と関係も改善すると言われています。これも「仏心」を日常生活に活かす一例です。
 
 そしてまた、我々誰もが「仏性(ぶっしょう)」を有していると教えられています。
 仏性とは「仏となる種、仏となる可能性」であり、これは生きとし生けるもの全てに備わっているとされます(仏心と仏性を同一とする考えもあります)。
 
 この仏性を磨く智慧や修行法も沢山説かれていますが、日頃心がけられる事の一つに「菩薩行」があります。
 菩薩の行いですから項目は幾つもありますが、その精神を一言で表すと、「誰かの喜びとなるところを、自分の喜びとして生きていきましょう」となります。
 自分を誰かの犠牲にする、という事ではありません。周りの方の喜びとなるような、そんな言葉や行動を心がけることができれば、その時は自分自身も幸せになれる、という考えです。
 
 そして仏教では、亡き方にも沢山の事ができますよ、と説かれます。
 毎日をどんな心持ちで過ごせば仏の世界にいる故人が喜ぶか、時に思いを馳せることができれば、きっとまた新たな気づきを得られると思うのです。

 
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 4月21日の信行会では、仏教情報センターの理事もお務めになった、日蓮宗声明師・三井妙真上人をお迎えし「人生は波瀾万丈当たり前!女は度胸」と題したお話を伺います。
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