仏教では我々が普段から心がけるべき修行として、「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵」という六つの行が説かれています。
 布施の本来の意味は、「自分に出来る事を、他人の為にさせていただく」という事です。
 人と接する時、相手が心地よく話せるように笑顔でいる事も布施行ですし、電車の中で席を譲る事もまた布施行になります。
 

 ですから、我々は普段から実に沢山の布施ができる事になります。「何かをしてあげる」という気持ちではなく、「自分の心を満たす為に、また、自分をより高める為に、何かをさせていただく」という気持ちで行うのが大事だと説かれています。
そのような気持ちでなければ、相手からお礼の言葉がなかった時腹立たしくなってしまうので、結局心にはマイナスになってしまうのです。
 

 日蓮宗が信仰している「妙法蓮華経(法華経)」は日蓮宗以外でも広く読まれています。真言宗や天台宗でも読経しますし、浅草・浅草寺の観音信仰も法華経から来ています。
 また、最近のいわゆる新興宗教も、法華経を読む団体が大変多くあります。
 信仰されてきた歴史も古く、かつては聖徳太子が法華経の解説書をお書きになりました。それ以降も歴史上の有名人が深く法華経を信仰し、「法華文化」という文化が花開いた時期もありました。
 

 現在でももちろん広く信仰され、法華経に関する本を書かれた石原慎太郎さんや美輪明宏さんを始め、多くの著名人が帰依しています。
 SMAPの「世界に一つだけの花」という歌、ご存知の方も多いかと思います。作者の槇原敬之さんは、近年仏教を学びながら歌を作っているそうで、ご本人のCDには法華経をテーマとした作品も収録されています。「世界に一つだけの花」もお釈迦様の言葉をヒントにお作りになったそうです。
 

 また、仏教の修行をイメージさせるような歌詞もあります。「FIRE FLY」という曲では「誰かが幸せになる そのきっかけにでもなれるなら それだけで僕は生きていける」旨の心情が歌われています(本当は歌詞をご紹介したいのですが、著作権の問題があると思いますので・・・)。

 

  この歌詞は仏教の大事な修行である「菩薩行」に通じていると感じました。菩薩行とは「誰かの喜びとなるところを自分の喜びとして生きていく」という事です。これは「いつも自分を人の犠牲にしなさい」という事ではありません。

 我々は日々多くの方とご縁を頂きながら生きていますから、自分ひとりだけの幸せというのはあり得ません。熱心な法華経信者だった宮沢賢治も「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸せはあり得ない」と言っていました。
「誰かが幸せになるような、そんな生き方がもしできるのであれば、その時は自分自身だって幸せになっているはず」このような考えが菩薩行だと私は思っています。
 

 仏教の教えは、ただ知っているだけでも日常の助けになる事があります。例えば「忍辱」ですが、怒ったり、恨んだり、妬んだりしない修行、というような意味です。ですが現実的に、一生涯怒らないなどまず不可能でしょう。しかしながら、もし嫌な事があったとき、「ここで怒りを抑える事が自分を高める事に繋がるんだ」という事を知っていれば、怒りが消えないまでも、心が少しは楽になるのではと思います。
 また、気分が落ち込んだり暗くなった時に、周りから「ほら、明るくやっていきなよ」と言われても、そんなに簡単に気持ちを切り替えられるなら誰も苦労はしませんね。
 しかし気持ちを切り替えられなくても、「菩薩行」の考え方を思い出すことはできるのではないでしょうか。
 

 どんな時だって、誰かの為に何かできる事はあるはずですし、誰かの為に何かできると言う事は、自分の為に何かできるということです。その事を知っていれば、「人生に本当の絶望など無い」という事がお分かりいただけるのではと思います。
 

 仏教の教え、物の考え方を心にお守りとして持っていれば、そのお守りが役に立つ日がきっと来ると思うのです。