現在、個人メールでのご相談・ご質問をお受けできませんもので、
「公開シェア」という形で、お名前をふせてブログ上でお受けしています
ご希望の方はタイトル欄に「公開相談・お名前」でお願い致します。
いただいた全てにお答えはできませんが、できる限りお答えしていきたいと
思っています
「熊本地震や犬猫の保護活動をしている団体に、寄付をしたり、ボランティアに行ってみたいのですが、自分自身そんなに収入もないので、いつかいつか・・・
とまだ何もできていません。こんな私にもできることはありますか?」
「被災地や保護施設に寄付をしたいのですが、自分のお金が減ることに
不安があるし、損をすると思ってしまいます。
ですが、そんな自分に罪悪感もあります。
寄付などはどのように考えたらいいのでしょうか?」
「寄付はいくらくらいが妥当なのでしょうか?
あまり少なくても役に立たないし、多いと自分が後悔しそうで
不安です」
「寄付」や「お布施」について、ご質問を多くいただきましたので、
今回はお釈迦さまのお言葉をお借りして、お答えしますね。
現在、私は施設の維持やたくさんの動物たちに、自分の収入のほとんどを布施する身であると同時に、ボランティアとして、施設へのご支援をお受けする立場でもあります。
このように、布施をする立場と、布施をお受けする立場でいると、
いろいろなことに気づきます
さて・・・そんな布施・ボランティアの真意とは、いったい何なのでしょう。
「お釈迦さまの布施」
あるとき、お釈迦様の一行が、貧しい国に中でも、最も貧しい村に到着しました。
その村では、今晩食べるものにも事欠くありさまでした。
お釈迦様たちは、金銭を得ないので、食べるものは「托鉢(たくはつ)」をして
、いろいろなおうちを訪問していただきます。
弟子がお釈迦様に問います。
「お釈迦様、この村の人たちは、とても貧しくて、今晩食べるものもありません。
とても托鉢になど行けません。どうしたらいいのでしょうか?」
お釈迦様は、驚くべき返答をします。
「この貧しい村の中でも、最も貧しい家に托鉢に行きなさい。」
弟子は「そんなことは、とてもできません」と、ビックリ仰天をします。
続けて、お釈迦様がさすがの見解を示します。
「この村の人たちは、今まで誰にも布施を施さなかったから、
自分たちもこのような苦しいときに、誰からの施し受けられない。
一番貧しい家に行って、施しをさせてあげなさい」
・・・・・という、お話しです。
後半に続く