タンザニアでの出来事 | アメリカの大学院で勉強する、舞のもぐもぐブログ

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旧『ベナンで活動する舞のもぐもぐブログ』 

2008年6月~2010年6月の2年間、青年海外協力隊として西アフリカのベナンという国で活動しました。

2012年8月から2014年5月まで、アメリカのブランダイス大学院(Brandeis University)で国際開発学を勉強しました。

4年前の夏、後に就職することになる会社の

最終面接を放って、タンザニアにいた私。



大学のインターンシップ授業の一環で、

2週間JICAタンザニア事務所でインターンをし、

そのついでに2週間1人でプラプラと一人旅をしていました。



今思えば、あの時から 

青年海外協力隊には縁があったと思う。



ダルエスサラームの空港で隣に並んだ女の人が

たまたま協力隊員のOBだったり、

ある町で知り合った男の子が

「日本人の友達がいる」 と家に連れていってもらったら、

たまたまそこで活動する協力隊員だったり。


※後で、その男の子と協力隊員は友達でも何でもないことが発覚。

タンザニアでは 『知っている人』 を友達と言ったりするらしい汗



私が 「青年海外協力隊も卒業後の進路として考えている」 と言ったら、

インターン中、事務所の方が配慮してくださって、

協力隊員の活動を何度か見学させてもらった。


結局、出会った協力隊員とOB・OGの人たち

合計20名以上



そこで聞いた、生の愚痴。


「何をやっていいか分からないし、

 自分が本当に必要とされているか、悩む。」


「要請内容以前の状況で、聞いていた仕事が全くできていない」


「こっちの人はお給料以上仕事しようとしなくて、

やる気が無いし、簡単に休む、いい加減。」


「現実を見て、ショックを受けて帰国する隊員もいる。」


など・・。



実際に、今、悩んでいることだったから

とてもリアルで、とても切実だった。


それを聞いて、なぜか私は協力隊への志望度がぐっと上がった。


それまでは、進路の選択の1つとして考えてはいたけれど、

正直、ボランティアだからそんなに大したことは無いだろうって思っていた。


だけど結構大変なんだ!!ということが分かって、

かえって挑戦してみたくなったというか。


自分だったらどうするかなって、いつの間にか考えてた。

自分だったらもっとうまくできそうな気がする、という

根拠の無い自信もあったし。


それに、愚痴を言って悩んではいても、

現地の人と、スワヒリ語でペラペラ話す

協力隊員は私から見てめちゃ、格好よかった!ひらめき電球



JICA職員の方が、私を現地の人に紹介するときに、

「将来、青年海外協力隊でアフリカに来る人だよ。」

と言ってくださって、

「心からお待ちしています。きっとまた戻ってきてね。」

と言われると、本当にそうなる気がした。



帰国後は、いったん就職の道を選んだ私だけれど、

1日もあのタンザニアでのことを忘れた日は無かった。


協力隊員の人たち、協力隊調整員の方たちと、

異国の地タンザニアで一緒にご飯を食べた日は

本当に本当に素敵だった。



あれから4年、今私はここで協力隊候補生として訓練を受けている。

4年前のあの日から、実際にこうなることは自分だけが知ってた、

最近そんなことを強く感じている。