ここでは、すぐできる「発音診断」と、「腹式圧発声・発音」の改善・リハビリテーションをご案内します。
オーディション参加者を700名以上見て来て、一つの現象が目立ちます。
『さ行』の発音が正確に出来ない…。
現代人の殆どは、「さ行」「ち」「つ」を歯間に空気を通す摩擦音によって発音しています。
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ではここで、今すぐできる簡単診断です。
是非やってみて下さい。
日本語の発音は、「あ行」=「あ・い・う・え・お」が基本になって「か行」以降の音が作られます。
では「あ段」による単語です。
「あ・お (青)」
二つの音が、口内中央~奥の同じ場所で作られているのが判るでしょうか。
では次です。
「あ・さ (朝)」
もし「さ」という音を、口内前方で作っていたら、それは間違った発音です。
「あ」も「さ」も、「あ・お」同様に同じ場所(口内中央~奥)で音が作られなければなりません。
ではもう一つ。
「い・し (石)」
「い」を歯を噛んで発音していたら、それは致命的な間違いです。
「い」は歯を少し開けて発音するもので、噛んで発音していたら、「い段」の殆どの音は間違った発音になりかねません。
また正しい「い」が【歯を少し開けて発音する】のですから、「し」も同様に発音しなければなりません。
「い」も「し」も、「あ・お」と同じ場所(口内中央~奥)で音が作られるのが正しい発音です。
これらは、「さ行」=「さ・し・す・せ・そ」全てに言える事です。
この正しい発音を実現する為には、腹式の圧による発声、肺活量が求められます。
この大変な音作りから回避するために日本人は、簡単な歯間の摩擦音による疑似音を身に付けたのです。
しかし声でお金を稼ぐ声優が、間違ったままの発音で良い訳がありません。
無理な事を言っているのでもなく、大御所の声優さんたちは普通に出来ている事です。
それに気付かない、気付いても直さないなら、日本人プロ声優である資格はありません。
アニメ映像の製作者として、プロとなるのなら許す事は出来かねます。
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日本語を構成する「50音」には、口内前方(または歯)で発音する音はありません。
発音の基本形「あ行」が、そのように発音しないのが根拠です。
※「い」は歯を噛んで発音するものではありません
語尾「~す。」の無声化は音的に近いですが、間違った「す」の無声化は、声でなく「音」です。
そして、「か行」「が行」「た行」「だ行」「ば行」にも、もうひとつ得るべき発音があります。
よって日本語には、「さ行」「ざ行」含め、50音ではなく85音以上あると指導しています。
これらが出来ないのは、近年の若年層に見られる「身体能力/肺活量の衰退」にも関係があります。
この事実を「プロの録音現場」は把握していますが、それを演者に伝える事はありません。
現場は「教える場所ではない」という、当たり前の考え方です。
そしてそれは、「オファーが来ない」という現実で返っていきます。
※ちなみに最近のカラオケ採点機械では、この発音の正確さも集計しています。
当番組では、一般からもドラマ出演者を募っている実情を踏まえ、その改善を促します。
講習では1分程度で補正し、正しい発音を体感させていますが、身に付けコントロールする為には毎日やらないと達成は出来ません。
生まれてから今日まで、ずっとやって来た発音方法を変えるのです。
そう簡単に入れ換える事は出来ません。
日常会話こそ重要で、番組講習では改善度/誤収得のチェックを行い、進捗具合で個人別の修正方法を伝えています。
また当番組オーディションでは『発音チェック』と共に、審査精度を上げる為、その他に診ている物があります。
●腹式法チェック
●肺活量チェック
これによって身体の作用部分が見れるので、「さ行が言えない」という個々の原因、また演技表現力の幅まで判断できます。
「さ行」が言えない…
この単純に見える症状から、どれほどの原因が想定できるでしょうか。
その原因には、以下の様な物があるのです。
■腹部インナーマッスルとの連動
・足モモの筋肉
・骨盤底筋
■肺活量
・肩への空気吸入
・腹式への空気吸入
・胸部による抑制
■腹式法
・腹部インナーマッスルによる空気吐出し
・空気単発出し
■のど筋肉コントロール
・上あご奥の広がり
・のど筋肉の開放
・のど声の度合い
・口開き/口角による3000Hz到達
■「音」生成=発音
・口内中央部~奥での「音」生成
・歯を使わない「音」生成
難しく書きましたが、これで発音の原因、修正法、演技力の幅も解るのです。
例えば、中には発音チェックで『さ行』が正確に出せないが、セリフでは概ね正しく発音する方がいます。
これは「肺活量の少なさ」と「声圧の低さ」による現象で、張る演技は困難となります。
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人は声を出す楽器です。
気道をしっかり確保しないと、出るべきものも出ないのです。