私が医学部に進んだ理由 | MY LIFE AS A PIG

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山と農業と旅を愛するAkihisaのブログです。
高崎高校→北海道大学農学部→銀行員(札幌・鹿児島・福岡・US)→旅人(日本縦断・世界一周)→大分大学医学部(編入)→明日は何処…
大分朝読書コミュニティBunDoku主宰/NPO法人NICE GWCコーディネーター/財務経営アドバイザー

これまでの記事でも そこはかとなく触れたコトはあったのですが、きちんとまとめて書いたコトはなかったと思うので、改めて書きます。

「Akihisaは何で銀行を辞めて医学部に行ったの?」

って話ね。


(参考)
2011/8/21 そして人生は次のステージへ
2011/9/23 医学部編入への道

先月、仕事関係の方々に退職の挨拶周りをしている時とかに、色々な人から「昔からそういう夢があったの?」とか、「医者って仕事に憧れてたの?」とか聞かれて、そのたびに「いや全然違います」と言って回っているのですが…。
やっぱり前職を辞めて再び学生になるというコトに、それも職種的に例えばMBAとかCPA(米国公認会計士)とかを取りに行くのではなく医学部に進むってコトに、違和感を持つ人は多いのだと思います。


> 質問ケース① 「昔から医師になりたかったの?」

昔は、医師なんて道は考えてもいなかったのです。
コドモの頃から大した病気にかかったコトがない自分にとって、「医療」そのものが全く知らない世界だったし、自分は自分が直接体感したコト・ココロが動かされたコトに対してしかモチベートされるコトができなくて…。
そんな、他にやりたい夢が山ほどあるのに、あえて全く関わったコトのない世界(医療)に進む姿なんて、イメージできるはずもありませんでした。

小学生の頃はムツゴロウ動物王国で働きたいと思っていたし(本気だったんですよ)、
中学生になった頃から、好きなのは「動物」というよりも「生物・自然全体」だなって気付いて、ベクトルを動物王国から「北海道の大自然」にシフトしていきました。

だから高校に入ってからは1年の時から北大農学部に行くコトしか考えてなくて、将来は北海道で農業、あるいは環境教育(冒険教育)をやっている自分を思い描いていて、
大学に入って、登山や農業や子どもキャンプはもちろん、国際ボランティアやら海外放浪やらソーシャルビジネス系のインターンとかも含めていろいろ経験を積んできました。

でもその経験も含めて、「何をするにしても、自分でやりたいコトをやるならまずは社会の仕組み・組織の仕組み・お金の流れを押さえないとダメだ」と思って、理系なのに一転して文系の就職活動をして、
色々調べて見て回って、やりがいがあるって意味でも、いざという時にもつぶしが効くって打算的にも、前職の銀行を選んで、社会人としてやってきたのです。

でも同時に、理想とする生き方は模索し続けていました。

初志貫徹でまずは農業をしてみないとダメだと思って、畑を借りて自分たちで有機農業をして、
結局農業自体よりも農業を通した出会い・関わりに魅力を感じてきたんだなって内省をしたりしました。
(→ 2009/4/27 メノビレッジ長沼

銀行で働きながら、楽しいけど、やりがいはすごくあるけど、でも B to B よりももっとダイレクトに人と人とが関わる方が好きだなと改めて思ったりもして、
場づくりとかコミュニティビジネスとか子どもキャンプとか、最終的にはそういう分野で生きていきたいなって徐々に方向性を見定めていって、
でも進みたい方向はそっちだとしても、具体的な場と自分の立ち位置はどうしようかと足踏みをしていていました。

社会人の途中で、友達の紹介でそらぷちキッズキャンプに出会って医療という世界に初めて肌で触れて、
そこでコドモたちのために関わっている医療者たちがあまりにも素敵でカッコ良くて、初めてその分野に憧れを抱いたりして、
そらぷちに関わり続けながら、これまでやりたいと思ってきたコトが、この世界でなら全部叶えられるんじゃない?と思えてきて、
そうしてようやく、やりたいコトをやるための自分の立ち位置に「医療者」という選択肢が加わったのです。


> 質問ケース② 「医者って仕事に憧れてたの?」

うーん、これも何か違うのです。
将来的に「まずは医師として一人前にならなきゃ」とは当然考えているのですが、「医者になりたい」というのとは、目指すゴールが決定的に違うと思うのです。

Akihisaという人間性(キャラ性)・生き方に今更変更はなくて、ただ将来は、

「Akihisaはそう言えば医師ライセンスも持ってたよね」

ってふと言われるような、そんな(決して小さくはないけど) 1パーツのイメージなのです。

自分の居場所(居たい場所)・究極的にやりたい分野は、あくまでも子どもキャンプ(あるいはもう少しだけ広いコミュニティ)であるコトに変わりありません。
北海道で学生をしながら、そして銀行で働きながら、ずっと自分の生きる場を探していて、そんな中出会ったそらぷちがあまりに居心地が良くて、働きながら週末はそらぷちに没頭する日々でした。
それまでの経験から自分は「野外キャンプリーダー」として参加させてもらっていたけど、でも参加すれば参加するほどに、医療知識のない自分の不甲斐なさ・歯痒さと限界を肌で感じ続けてきて、

「今後もそらぷちに参加し続けたいなら、医療者にならないといけない」

って、周りは誰もそんなコト思っていなかったかもしれませんが、自分の中の整理として決めたのです。
自分ももう、ただの野外キャンプリーダーであるだけじゃなく、病気のコドモたちに対していざという時に判断ができる・手が出せるというスキルを身につけた上で参加したい・参加するべきだって。

それが、自分が今後もそらぷちに関わり続けるために自分なりに定めた、最低限のハードルでした。
その立場になった上で、自分はここに来るコドモたちとずっと関わって生きていきたいと思ったのです。

だから

「なぜ仕事を辞めて医学部に入ったの?」


と聞かれたら、

「自分自身のありたい将来像に向かう中、最低限医師であるコトが必要になったから」

もっと有り体に、具体的に言ってしまえば、

「今後もそらぷちを続けるために、自分も医師ライセンスを持っているべきだと思ったから」

というのが正直な回答です。
そして日本で医師免許を取るには医学部に入るしか選択肢がなかったから、資金的にある程度目処がついてきた今のタイミングで働きながらガッと勉強をして、最速で受かったトコロで仕事を辞めてとにかくライセンスを取りにきました、という。
「前の仕事を辞めてまで…」という疑問に対しては、自分の場合は仕事よりも何よりも、例えば10年後20年後の「ありたい自分像」が先にあるから、仕事を辞める辞めないの思考は付属でした。

そんな訳で将来は、例えばそらぷちで働けたらいいなと思っていますが、もしそれが叶わなくても、、
(↑そもそも将来そらぷちに医師がボランティアでなく常駐スタッフで入れるのかもわからない)

「楽しいしやりがいもある今と比べて、同水準以上のやりがいのある仕事ができるか?」

って視点でも、これまで北大生だったりえんかお繋がりだったり植松王子繋がりで色々な医学生・医師の話を聞く中で、「医師ならきっとそんな仕事ができるな」って自分なりに結論づけるコトができたので(こっちは後付けの感もありますが…)、自分は今、後ろを振り向かずに医学部に進んだトコロなのです。