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母の病状記録

母の病状を記録したブログです。少ない選択肢の中で今の選択で本当によかったのか?ここに来て思い悩む日々。記録することで心の整理をしたい...そんな思いで記述しています。

母は再度入院しました。


これで3度目です。


嘔吐と腹痛、食欲不振による体力低下。


原因は膵臓癌が胃の後ろから圧迫し、胃から腸(十二指腸の部分)への軌道が徐々に細く狭くなり、そこに食物が詰まって逆流したことによる嘔吐が原因だとみられます。


腹痛は胃と膵臓を刺激したために発したとも考えられます。数日前からオキノームの量も増えておりましたから、徐々に痛み始めてたようです。


母の軌道は、すでに胃カメラが通らないぐらい狭くなっています。当初からカメラを通せないぐらい狭くなっていたようですが、最近ではもっと狭くなっていると想像されます。


抗癌剤の治療を施すも、結果的には癌細胞は確実に増殖しています。担当医は増殖の速度は抑えているとの見解ですが、小さくはなっていません。


母の場合、他への転移がみられないことだけが幸いしております。


母は何度も「今までの治療はなんだったの!?」と呂律が回り難い口で、はき捨てるようにいい続けます。


確かに、確かにそうです。


やはり抗癌剤って延命だけのことかと・・・  疑ってしまいます。


母の体は薬漬けでボロボロです。ほぼ薬で命が保たれている状態です。


口からは固形物が入らないので、点滴のビーフリードを1日2本。カロリー摂取のためにテルミールを飲んでいます。これは体温計で有名なテルモさんのネット通販で購入しています。タイミングが良ければ翌日に届きます。母はコーヒー味とコーンスープ味を好んで飲みます。


「あなたも飲んだら」って言ってくれますが、私はむしろカロリー過多なので、とても飲めません。カロリー摂取には打ってつけの飲み物です。病院もすすめています。


さて、今後のことが昨日担当医と話し合われました。


現状はやはり膵臓癌が膨らんできているようです。このままだと軌道が塞がります。そうなると水はおろか痰や唾でさえ飲み込めず嘔吐してしまいます。もう口から何も入れることが出来なくなります。胃に溜まったガスですら、吐き出せなくなるそうです。


そうなると、ガス抜きと痰や唾抜きのために、鼻から胃へ管が通されます。その管でそれらを除去するそうです。ただこれは相当苦痛を伴うので、お腹に穴を開けてそこから胃に管を通す『胃ろう』という方法をすすめてきております。


胃ろうは通常高齢者が口から食物を摂取する際に、間違って肺に入ってしまうのを防ぐためにする方法だそうです。そこから除去と栄養摂取を行うようです。


膵臓癌に伴う軌道閉鎖の場合、それで行えるのは痰や唾の除去だけです。栄養の摂取は行えません。なぜならその管を通せるのが胃の部分であり、その下の腸への軌道が塞がれている以上、食物を流し込んでも腸へは通っていきません。


そうなると栄養はどこから?当然ビーフリードなどの水分と栄養素は点滴で補ったとしても、1日に必要なカロリーを摂取することできません。これも何か他の点滴になるのでしょうか??


さすがに担当医も頭を悩ませておりました。


母の場合、癌の転移がみられないので、胃の軌道さえ通って食物を流し込めさえすれば、容態はすぐに回復します。体力は幾分か低下しているものの、病院内の他の癌患者さんよりは元気に見えます。


胃の軌道さへ確保できれば・・・ です。


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半年前の癌の宣告後からやや痴呆ぎみでしたが、最近特に酷くなっています。癌の宣告によるショック性痴呆症なのか?物忘れはもちろんですが、他の人の話が自分のことのように聞こえるようです。2,3日前の記憶がつい数分前だったりもします。


先日は病院内を徘徊?迷子?になったようです。そのためナースステーションの近くの病室に移されました。化学療法を薄々疑っているのは知ってましたが、それを口走り初めております。そんな母ではなかったのですが・・・


一応食事も重湯ぐらいは口にできるようになりました。病院側も痴呆症のこともあり、出来るだけ早く帰宅することをすすめております。


ただ、膵臓癌の進行も来るとこまで来たように思えます。担当医や看護士さんも含め誰の目を見ても、最後のハードルを越えなくてはならないところまで来たことを、訴えてかけてきます。彼らには判るのでしょう。


ほんとの意味で母と向き合う時期が来たように思えます。


覚悟とまではいきませんが、せめて穏やかにあちらの世界へ帰って行かれることだけが望みです。



母の容態はある意味安定しています。


昼にヘルパーさんが毎日(月曜日~日曜日まで1日も空けずに)来て、朝と夜の食事作りと雑用を1時間半という時間内でこなしていただいております。


食事の内容は、塩分と油分を極力避けた病院食に近いものです。


ただ、来ていただいているヘルパーさんは料理好きな方が選出されたのか、病院食とは違うおいしいものに仕上がっているそうです。


そのお陰で母は「美味しい、美味しい」と言ってます。しかも定期検診でも、体重が少し増えたみたいです。


この時期に母の病状で体重が増えるのも、なんだか奇跡的な感じがします。



母の介護保険は『要介護2』。 


点数は19480単位/月。


現在ヘルパーさんに、昼の1時間半を毎日来ていただいて、昼と夜の食事作り(毎日)と、風呂トイレ台所などの掃除(2・3日に1回程度)で ⇒ 約12000単位(現行)。


彼女の場合、緩和治療で使われる麻薬のデュロテップパッチを使用するということもあり、当初から看護士さんにも来ていただくことになっていました。


それをすべて介護保険でまかなおうとすると自己負担が発生するので、そちらは医療保険でまかなうことにしています。それでも自己負担は1万円程度になるようです。


そのため介護保険はヘルパーさんのみ使用しています。


現行彼女の持っている点数には未だ達していません。残りの7000単位ぐらいを、家族の負担を減らせる何かに使用することをケアーマネージャーさんにすすめられています。


どうするか現在検討中です。


ただ先日看護士さんから、オキノームという名の鎮痛剤の使用量が増えると、呼吸困難など容態が急変する可能性があることを指摘されました。そのため夜間の救急体制も家族と看護士さんとで連携をとっていくことが話されました。


母は週に2回ほど使用しているようです。すこし痛むみたいです。



なんとなく緊迫する時期になりつつあるようです。


しかも

『そんなに長いことではないと思いますよ』 と看護士さん曰く・・・

病院でソーシャルワーカーさんに介護保険の申請をすすめられた。


介護保険? あの毎月引かれているの?


まさか自分の身内に介護保険を申請し、お世話になる人が出るとは思っていませんでした。


早速ホームページで最寄のセンターを調べ、申請書を取りに行きました。


申請に必要な書類は⇒ 1.介護保険申請書と 2.医師の意見書 の2点です。


医師の意見書は、母を診てもらっている主治医にお願いしました。


2~3日で主治医から意見書が届き、申請書を記入し指定の保険福祉センターへ提出に行きました。


審査員が直接本人に会って、審査すると言うことです。


介護保険は要支援1、要支援2、要介護1~5、の合計7段階。厳密的には要支援と要介護との差は歴然です。というのも要支援では紹介される医療センターも限定されます。ましてや点数も違うため、ヘルパーさんの訪問回数にも影響します。もちろん要介護の方が要支援より何千単位と点数が高いです。それだけ介護には時間と労力が必要なのでしょう。


その点数をもとに退院後の訪問日数と訪問時間と内容を吟味していきます。


母の場合、どうしてもデュロテップパッチを貼付している関係で、看護士さんの訪問も望まれました。ヘルパーさんと看護士さんで母をサポートすることで進んでいます。


ところが、退院を目前にしてなかなか介護保険の通知書が届きません。というのも審査員が審査した後、通常最低1ヶ月は掛かると言われていました。しかし母の容態はそんなに長く待つことが出来ません。お願いし急いでいただきました。ソーシャルワーカーさんの口添えもあり、結果2週間ほどで通知書が届きました。おそらく例外だと思います。大変感謝しております。


母の病状記録


結果は要介護2でした。 点数は19480単位です。


それでもヘルパーさんと看護士さんの両方はまかないきれないということで、看護士さんは医療保険で払うことにして、ヘルパーさんに介護保険を使うことにしました。


その結果1日1時間半の訪問で、一週間毎日訪問していただけることになりました。


母の容態は自身で食事は取れるものの料理ができず、また長時間の歩行が困難なため、買い物にも行くことができません。退院はしたものの、行動範囲は室内だけです。


それでも帰れることだけを楽しみにしていた母は、帰宅後なんとなくホッとした様子でした。


これから私たち家族・ヘルパーさん・看護士さんと三位一体となりサポートしていきます。


病室と違う環境で、どれだけ病室と同じ体調を維持できるのか・・・ 

そこが一番不安です。