福島出身の柳沼君ら出演 長浜小学校合唱団、あすNコン出場 | 近江毎夕新聞

福島出身の柳沼君ら出演 長浜小学校合唱団、あすNコン出場

 東日本大震災と福島原発事故で被災し、長浜市に転居して母、姉とともに暮らす、長浜小学校六年生の柳沼玲央(やぎぬま・れお)君(11)が、あす七日に守山市民ホールで開かれる「NHK全国学校音楽コンクール」滋賀県コンクールに、長浜小学校合唱団(北村美佳さん指導、団員三十九人)のメンバーの一人として出場する。
 出場の三~六年生、計三十三人のうち男子は柳沼君一人。団員は今年四月からコンクールに向けた練習をスタートし、六月下旬からは毎週四日間の放課後と週末の土日曜日、夏休みを返上して特訓を重ねてきた。柳沼君は「練習は厳しいけれど、先生の言うことはすごく良くわかる。歌うのは楽しい」と語り、先生のタクトを真剣な眼差しで見つめながら、透き通るような声でソプラノパートを担っている。合唱団活動最後の年に、他のメンバーとともに目指すのは出場五校のトップ「金賞」。玲央君が合唱団員になるきっかけを作った、元長浜小合唱団員の姉、あかりさん(14)=長浜西中二年=と、長浜の地で生活再建を目指す母、沙織さん(35)も会場で応援する。
 沙織さんは福島市早稲町出身。夫と離婚後、福祉施設で調理師を務めていたさなかに東日本大震災に遭遇。福島第一原発事故の放射線被爆から二人の子を守ろうと被災直後に一時避難を決意していた。しかしお年寄りの三度の食事を作っていた沙織さんに介護施設から「四月末までは居てほしい」と要請されてとどまり、被災から約二カ月後の平成二十三年五月三日、自主避難者受け入れ県の一つ、滋賀県に半年間避難生活するつもりで長浜市公園町のアパートに入居した。
 震災で自家用車などを失い、未知の土地ですべてゼロからのスタートを余儀なくされた沙織さんは、転居から三日後にアパート裏手の料理旅館に仕事を求め、皿洗いなどのパート仕事で生活をつないでいた。この年の九月、柳沼さん母子は福島市に帰省し、姉弟は一週間、元の小学校に通った。沙織さんは、放射線被ばくの積算線量を計る簡易線量計「ガラスバッジ」を子どもたちが胸につけて暮らす姿や、放射線量が高いままの場所が多いことに驚いたが、小学五年生だった長女のあかりさんは旧友の大勢が故郷で暮らす光景にショックを受け「なんで私達は行くの」「みんなと一緒にいたい」と、泣いて反発。子のためにと、一時避難から移住を決意していた沙織さんを悩ませていた。しかし、柳沼さん家族を支えたのは長浜の人々の温かい言葉、励ましだったという。
 長浜市に戻ったあかりさんは同級生の「待ってたで。お帰り」などの言葉で次第に落ち着き、同級生の歌声に「上手だね」と応じたことがきっかけで、転校七カ月後の平成二十一年十二月に合唱団に入団。練習に打ち込むうちに本来のあかりさんらしさを取り戻していた。
 小学三年で転校した玲央君は、方言の差異に困惑した時期があったが、長浜市での暮らしに比較的早く慣れていた。お姉さんの動揺と、合唱団入団を目の当たりにして、自身も合唱団に入団を希望。あかりさん入団の二カ月後には、玲央君も一緒に練習していた。
 長浜小学校合唱団は震災の前年に発足。湖北地域唯一の小学校合唱団として設立二年目に初出場した「NHK全国学校音楽コンクール」滋賀県コンクールで金賞を獲得。あかりさんが出場した翌年、玲央君が出場した翌々年は二位の銀賞。玲央君は六年でサッカーを始めるつもりだったが、コンクールでの金賞を目標に団員を続けていた。 
 コンクールの小学校の部は守山市民ホール(守山市三宅町)で七日午後一時五十分開演。長浜小学校がトップで出場する。
〔写真〕コンクールに向け猛練習する合唱団員