下坂氏と慶雲館テーマ 17日から歴博で新指定史跡展 | 近江毎夕新聞

下坂氏と慶雲館テーマ 17日から歴博で新指定史跡展

足利直義感状  長浜城歴史博物館=長浜市公園町=は十七日から企画展「新指定史跡名勝展―下坂氏館(やかた)と慶雲館」を開く。今年一月に国の史跡指定を受けた下坂氏館跡と、同名勝に指定された慶雲館庭園の二つを文書類など歴史資料八件とパネルで紹介する。六月十八日まで。
 下坂氏は下坂中村(現・長浜市下坂中町)に居を構えた土着の領主。戦国時代には守護大名の京極氏に仕え、のちに戦国大名の浅井氏に仕えたが、十四世紀、南北朝時代から活躍していたことが、これまでの研究からわかっている。
 慶雲館は長浜の実業家、浅見又蔵が、明治二十年(一八八七)の明治天皇京都行幸の帰路休憩所として建設した迎賓館。又蔵没後の明治四十五年(一九一二)に天皇行幸二十五周年を記念して、庭園が整備され、近代的な作庭で知られる小川治平の子、保太郎こと、通称「白楊」(一八八二~一九二六)が関わった可能性が高いと見られている。
 展示の一部は次の通り。
 ▽「足利直義感状」(建武三年〔一三三六〕七月二十五日付)=室町幕府成立直前に、足利尊氏の弟、直義(ただよし)が、下坂治部左衛門尉(しもさかじぶざえもんのじょう)に宛てた、軍功に対する感謝状。南北朝内乱のさなか、後醍醐天皇の勢力と戦い、親族に犠牲を出して奮戦した下坂氏に感謝を表している=写真。
 ▽「法然上人像」(南北朝時代の作)=下坂氏の氏寺、不断光院(下坂中町)に伝わる法然像。不断光院はもと天台宗だったが、観応元年(一三五〇)に下坂家が再興し浄土宗に改宗したらしい。
 ▽「肘掛椅子・小椅子」(明治時代以降の作)=浅見又蔵の箱書きがある肘掛付き一脚と肘掛なしの二脚。明治天皇は和室でも椅子、テーブルを使用したといい、天皇行幸に備えて、導入された可能性がある。