将棋のプロ棋士が平手でコンピュータソフトと戦う電王戦と言う棋戦がスタートしたと伝えられた。第1戦は人であるプロ棋士が勝ったと言う。



以前米長元名人が将棋ソフトと戦い敗れた折に、コンピュータのない世界に戻れないから、やがて人はコンピュータの後塵を拝することになると言う趣旨を言った覚えがある。今度の五番勝負の帰趨はまだ知らないが、仮に今年は勝てたとしてもいずれはコンピュータに及ばない日が来ることに疑いはない。



将棋の指し手は人には無限と思える変化はあるが、所詮八種類の駒と、81の盤目しかない有限の世界である限り、人に勝ち目はないのである。理屈を言えば相手の指し手の次の一手から、全ての可能性を制限時間内に演算できれば、必ずコンピュータは勝てるのである。



まだ人が勝てるのは、全ての手を読むスピードには時間が足りないので、そこに人が関与して読む範囲を制限しているからである。コンピュータの演算スピードは日進月歩ならぬ分進秒歩の速さで進歩しており、早晩制限時間があっても人を凌駕することになる。



もともと将棋は相手の失敗に付け込むゲームでもあり、その失敗を招くためには指し手が心理戦を仕掛ける場合もある。そういう人と人との生々しい戦いの中で、単に技術論だけで無い戦いがあったのである。



しかしコンピュータにはそのような心理戦は全く意味をなさないから、単なる論理ゲームになってしまい、人はその戦いには勝てないのである。結局コンピュータを将棋にかかわらせたことは、この伝統的で歴史ある精神の格闘技を人から失うきっかけをもたらしたことになるだろう。



私は将棋と言った極めて精神性の高い、人でなければ持ちえない資質を使った競技だから、コンピュータの入ってはいけない領域の物とするのが良かったと思っている。しかし人は昔には戻れないから、やがて観戦士はコンピュータになって、いつも指し手が思いつかない最善手を指し示し、やがて人は将棋に興味を失うであろう。



升田と大山、米長と中原と言った盤外の駆け引きを含む興味尽きない人間ドラマは、もう生まれては来ない。その人間ドラマを描いて本人も読者も楽しんだ山口瞳氏もこれからは出現しない。



将棋をコンピュータゲームにしてしまった人の浅薄さを嘆き悲しんで、以前も感じた懸念を再び言ってみた。




団塊世代の晩節