「真実後」

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1016日の読売新聞の朝刊に慶応大学の細谷教授による「政治は誠実か」と題する記事が寄せられ、虚偽で世論を誘導する風潮に警鐘を鳴らしていた。今や政治の世界では虚偽を語っても検証されず、真実を語ることは重要でなくなってきていると言う。

 

そして虚偽を語っても「誇張」だとか「言い間違い」だとごまかすことが蔓延しており、謝ることなど当然しない。その例として、アメリカのロムニー氏(前回の共和党大統領候補)の実際には大統領が全く触れていないことで攻撃し、選挙キャンペーンを行ったことを上げた。

 

このことが今のトランプ氏のような候補者が世論の一定の支持者を集めている素地を与えたと論じている。またこれがより深刻に表れた例として、イギリスのEU離脱騒動を上げて、当の離脱を主導した者が、その後離脱の根拠となった多くの事実やデータを否定していることを上げている。

 

日本でも安保法制をめぐって、民主党(現民進党)が「いつか徴兵制?」などと不安をあおる戦略を冊子にして配布しようとした例を挙げている。何も具体的根拠もないのに、恰も与党の法案が通れば起こりうるかのごときキャンペーンのことを指摘した。

 

この論者の言っていることは正しいと思うが、これが最近の政治的風潮のように言うことには、にわかに賛成できない。細谷氏は1971年生まれだから、いわゆる60年安保も、70年安保もまだ自身が存在しない時代のことだから実地には知らないのは当然だが、国際政治学者なら果たしてどうか。

 

小生はまだ中学・高校や大学のころではあったが、当時の安保条約の改定で野党は「条約の改定は日本を東西冷戦の渦中に巻き込むものだ」と言っていたことを思い出す。その結果日本はソ連などの共産圏諸国の標的になって、安全は保てないと共産党・社会党などの野党があおり、国会前でこの前とは比較にならないデモを起こした。

 

そして当時の学生だった樺美智子さんがそのデモで亡くなったが、犠牲者として当局の取り締まりを非難することで彼女の死を取り上げられる。然しそのデモの正当性の根拠となった「安保条約改定は日本を戦争に導く」という主張の誤りは、その後の現代史で明白に証明されても野党は謝罪はしない。

 

「真実後」という言葉は米国の評論家ラルフ・キーズという人の造語で、「Post truth」の日本語訳らしいが、なにこんなことは昔からあったのである。

 

長い中断或いはお別れ

2005年の6月からつたないブログを書き始めて、中断をしながらも11年近く駄文を掲載してきた。しかしここにきて続ける意欲を急速に失ってきている。

関心を寄せてくださった読者の方には、申し訳ない気もするが、再び気持ちを奮い起こせる事態が来ない限り終わりにしたい。どうぞ皆様お元気で。

 

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本日から3日ほど他出します。ご訪問いただいた方には不義理をしますが、ご容赦ください。

 

この本は以前紹介した「誰か」、「名もなき毒」そして「ペテロの葬列」と続く杉村三郎を主人公とする小説である。読まれたことのない人に簡単におさらいすれば、今は引退したが巨大コンツェルンの総帥の婚外子と恋に落ちた主人公は、俗にいう「逆たま」婚をするが、次々と事件に巻き込まれる。

 

そして前作では、妻の衝撃的な裏切りにあって、娘桃子を残して離婚して終わるのであるが、この小説はその後の物語である。構成は4つの短編(中編)からなっており、主人公は探偵稼業をしていることに触れられ、その仕事ぶりが語られる。

 

1話は「聖域」、ある日突然姿を消したおばあさんの行方を捜す仕事を近隣のおばさんから請け負うのである。娘との二人暮らしから逃げ出してきたと思われるその老女は「生きていてもしょうがないから死にます」と電話をして姿をくらましたのだという。

 

その足取りをたどっていくと、娘に起きたある大きな幸運に気が付き、杉村はその真相にたどり着く。報酬はごみ置き場の彼の掃除当番を1年代わってやるというものである。

 

2話「希望荘」は老人ホームの主事に紹介され、今は亡くなったそのホームの住人にまつわる話である。亡くなった老人は死ぬ間際に「自分は人を殺した」と息子に言っていたというのであるが、その真相を探ってほしいという依頼である。

 

杉村は老人の過去に遡って、それらしい事件を調べていくのであるが、ことは意外なことが動機であったことがわかってくる。それは身近な人へ、そして現在につながる話だったのである。

 

3話「砂男」は少し時間をさかのぼって、離婚直後の杉村が、故郷に帰ったところから始まる。彼の母親が逆たまを選んだ杉村を許していないこと、兄やその兄嫁、姉などの彼への姿勢が描かれて興味深い。

 

そして地元の物産販売を手伝うようになるのだが、そこでまた彼は事件に巻き込まれていくことになる。オシドリ夫婦とみられていた評判の蕎麦屋の夫がある日突然失踪するのである。

 

そしてこの章で杉村がなぜ探偵稼業に入ることになるのかが、明かされる。失踪した夫の何故が解き明かされていくと、奇想天外な事件に発展していく。

 

4話「二重身」はあの東日本大震災が背景になっている。あの地震の時に行方不明になった人の捜索を第2話で知り合った依頼人の息子の紹介だという高校生から依頼される。

 

その母親と付き合っていたアンティークショップの主が、東北地方へ買い付けに言って行方知れずになったというのである。その真相はどのようなものだったのか。

 

そして何より杉村三郎と別れた娘とはその後どうなっているかが、断片的に語られる。面白く興味深い小説だった。

 

今日から4日遅い墓参りに郷里に参ります。PCもタブレットも持たずに行きますので、しばらく失礼いたしますことお許しください。

 

この小説は江戸時代に「湯灌場」に立ち、死者の亡骸を清め、数々の試練に会いながら成長していく若い女性の物語である。主人公縁()は、不義の妻を討つための妻敵討ちに出た父と共に放浪するが、その想いもかなわないまま行き倒れになって、清泉寺の住職正真に救われる。

 

そこで安らかに旅だった父を見送り、父の遺言で新たな名を与えられた縁は、死者の霊を弔いながら、その身を清める湯灌という仕事につくようになる。その仕事に伴う不吉な印象と、仕事に対する蔑視に会いながら、死者の尊厳と送る人の思いを柔らかにやさしく縁は勤めていく。

 

やがてその評判は広く伝わるようになり、父が求めた不義の妻で名を変えた縁の母親にも届くこととなる。しかし双方はお互いが名を変えたことも知らず、幼い時に分かれた二人は、顔を合わせたときにも、それと気づくことはなかった。

 

しかしいくつかの偶然が、この二人を近づけ、やがて大きな転機を迎えることになるのである。この小説の主題の一つは、縁の従事する仕事に対する思いと必要とされながらもどこかさげすむ気持ちを持つ、人の心の不条理さを映し出す。

 

二つ目の主題は縁とその母親の親子の情愛とは何かにある。幼子を捨てた母親の子に対する気持ちとはどんなものかと思う子供の切なさと、その母親を心から赦せるのかという究極の課題が突き付けられる。

 

そして三つめは訳ありの若い僧正念の必死の修行と、俗世からの誘いそして縁との若い男女が逢着する思いへと向き合わせていく。正念はそして縁はどのような選択をするのであろうかというのがこの小説の読みどころとなっている。

 

高田さんの小説は、「みをつくし料理帖」でもそのひたむきな主人公を応援したくさせるが、この小説でも縁の幸せを願わずにはいられなくさせている。二冊で完結するこの小説も手元に置いて読みたい本になった。

 

様々な懸念を持たれながら、決定的な事件事故を起こすこともなく、無事閉会できたことはご同慶の至りであり、いよいよ4年後の東京大会が迫ってきた。今度のオリンピックを観て、いろんなことを思ったが、その中で印象に残ったことを二つ言う。

 

一つは銀メダルへの思いである。銀メダルは言うまでもなく、第2位になった人が受賞するものだが、2位になるなり方が競技によって違う。

 

競泳や短距離走などが典型的だが、1位と2位との差はコンマ何秒と言ったタイム差が順位を分ける競技がある。しかし対戦型競技、柔道、レスリングなどの格技が典型だが最後に残った決勝戦で勝者と敗者が金・銀を分ける。

 

後者の銀メダル受賞者は負けて得る賞なので、多くの場合行われる3位決定戦で勝って銅メダルを得る選手と比べても、あまり喜べないように見える。決勝に残ったことだけでも、十分栄誉に値するのだと言ってあげたいが、選手はそうは簡単に割り切れないのだろう。

 

二つ目は選手の国籍にまつわることである。女子の卓球などがその典型だが、ドイツの選手として登場したのは、どう見ても中国人としか見えない選手であった。

 

卓球連盟が主催する国際試合の選手の国籍基準に比して、オリンピックの基準が甘いのがこういう選手をはびこらせているのだという解説があった。ただ小生が思ったのはこういうスポーツ振興に関する他国への支援の仕方までが丸ごと輸出なのだということである。

 

中国ではよく経済支援の相手国には、金や技術を出すだけではなく、現場作業者までをも丸ごと送り込み、現地人を排除してしまうと言われている。スポーツ選手までもが、自国にトップの選手を温存し、その次の選手を送り出しているという構造なのである。

 

具体的な経緯は単純なものではないだろうが、シンクロナイズスィミングで井村コーチが中国を世界に通用する選手団に仕上げた。しかし実質的な中国人選手が去った後に、ドイツやシンガポールの卓球界に、中国のシンクロのように技術は残るのだろうか。

 

天皇陛下の談話

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天皇陛下としては異例の形で個人の思いを国民に対して語られた。思いは個人的な感想と言っても、それが皇室典範には定めのない生前退位のご意向を示すものだとすれば、そのことは国家の政策にかかわることになる。



だから陛下の用心深く慎重な言い回しによって、出来るかぎり政治的な意味を避けておられたが、我が国の象徴天皇制をどうすべきかの大きな問題提起となったのである。お話になった内容は、国民統合の象徴であるという陛下のお努めを真摯に勤めるなら、気力・体力とも十全でなければならないこと。



そしてそれは臨時的な代行という制度である、摂政ということで代えることはできないもので、公平の原則を徹底すれば、安易に国事行為を減らしていいものではない。そして一方では昭和天皇のご崩御の前後にあったように、国民すべてが自粛などで一時的にせよ沈滞することもないようにという配慮をにじませられた。



陛下の思いそれ自体は象徴天皇制というものがいかにあるべきかを考え抜かれ、自らにも厳しく律してこられたことに裏付けられ、あたやおろそかに扱うことはできない。そして陛下の真摯で誠実な姿勢や思いの詰まった談話は、強く国民の心を打ったであろう。



しかし陛下の生前退位は、単にご高齢の陛下を楽にして差し上げればいい、という単純な思いだけで実現すればいいというものではない。陛下が初めて築き上げられた、生まれながらの「象徴天皇」を我が国の中にしっかりと定着させる制度的な仕組みが必要である。



今上天皇陛下のたぐいまれなお人柄と、慈しみの深いお気持ちは我が国国民の多くの支持を集め、皇室に心を寄せている。大事なことはこの今上陛下の思いを皇太子また他の皇族の方に受け継いでいただくことである。



国民にもこの問題には拙速ではなく、陛下の思いを可能な限り配慮しつつ、後顧に愁いのない形を整えてもらいたい。



この小説は以前も紹介した「風の市兵衛」シリーズの17冊目の本である。序は一人のうらぶれた浪人が、陸奥岩海領南城家の門前に立った。



そして昔の縁を頼り、百日咳で苦しむ幼い息子の薬料のため金子の用立てを頼むのであった。面会に応じた家士はさげすみながらも、上司との仲立ちをして、浪人藪下三十郎は施しを受けるのである。



一方主人公、風の市兵衛は飲み仲間の同心「鬼しぶ」こと渋井の口利きで、配下の蓮蔵から岡場所「麦飯」の女のことで、掛け合いを依頼される。市兵衛は気は進まないが、引き受けることとなり、「藪下」という岡場所に出かける。



手打ちがなり、市兵衛と三十郎はお互いの力と人柄を認め、二人は友情を持つようになる。市兵衛は三十郎の家で酒を酌み交わす仲となった。



三十郎は10数年前に主家を欠け落ちした侍であったが、ある日藪下の掛け取りの帰りに、昔なじみとすれ違う。そして後日二人は邂逅しかつての不祥事と向き合うことになるのだが、その際ともに不正に手を染めた上司たちの裏切りを知ることになる。



三十郎は市兵衛に会い自分の後顧を頼み、用人になってくれと依頼する。その必死の思いを感じて市兵衛はその依頼を引き受けるのだが…。

いつものように市兵衛の鮮やかでさわやかな捌きは、三十郎の命を賭した思いを実らせていく。




都知事選の結果

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日本の首都東京都の知事は、投票を締め切った直後に出口調査の結果などを基に、あっという間に小池新知事の当選が決まった。そして野党共闘の鳥越氏はもちろん、与党連合の組織を上げた増田氏をあっさりと振り切っての当選となった。



小池氏が本当に都知事にふさわしい人かどうかについては、小生は述べる気はない。ただもっと接戦になるはずだった、人の敗因を言うことはできる。



まず増田氏が及ばなかった理由は、彼を推した自民党の都連や党の本部が自分たちにとっての御しやすさを第一に考えたことが多くの選挙民に見えてしまったことが第一である。そしてその支える側の実力者が、自民党の地方政界の闇を支配するとの猪瀬元知事の告発記事も影響を与えたかもしれない。



また鳥越氏の敗因は、後出しじゃんけんで、自分の知名度を過信した選挙民を甘く見た姿勢が一番大きく、次いで政策的な中身の無さを見抜かれたことであろう。そして自らの個人的なスキャンダルの対処を間違えたことも、差を広げられた原因であった。



結果的にはそれを支える与党連合も、野党連合も結局は候補者の支援どころではなく、足を引っ張らないようにすることすら満足にできなかったと評することができる。率直に言えば、鳥越氏を選ぶような結果にならなかったことを都民のため、選挙民のために慶賀したい。

この本は氏の東京の古書店「東京バンドワゴン」を舞台とするシリーズものの小説で、10冊目の作品。語り部は以前と同じ7年前に亡くなった店主堀田勘一の妻「サチ」である。

 

登場人物もこのシリーズでおなじみの長男我南人(がなと)その亡くなった妻との長女藍子、その娘花陽、夫マードック、長男紺と妻の亜美、二人の長男研人、長女かんな。我南人と女優池沢百合枝との間に生まれた青とその妻すずみとかんなと同じ日に生まれた鈴花、そしてもちろん勘一の一家が同じ家かもしくは隣に住んでいる。

 

そこに家族同然の大山和美という元女医さんや、近所の元神主友円、IT企業の藤島、町内の小料理屋「はる」の一家も絡んでくる。登場人物の紹介だけで手いっぱいになるこの小説、作品の進み具合によって、登場人物は年を取り成長していくのである。

 

花陽は医者を目指して大学受験をしようとする高校生、父親我南人の影響を受けミュージシャンの才を発見した研人が、いったんは高校にもいかないと言っていたが今は受験生。そして幼いかんなちゃんと鈴花ちゃんが部屋を駆け巡っているという、なんとも楽しい家族なのである。

 

このシリーズの小説は以前にも紹介したが、決して世間の耳目を騒がす大事件が起きるわけではないが、家族にとっては大いなる日々の「事件」に襲われる。そしてそれをそれぞれの人生に練達した登場人物が、実に「腑に落ちる」解決をしていくのである。

 

古書店の周りを、こそこそ写真を撮っていくうら若き女性がいると思えば、書棚から本が落ちると言ったことが起き、堀田家が所蔵する古書に目をつける政府機関もある。そして幼馴染で自他ともに認める研人のガールフレンド芽莉依ちゃんと、一緒の学校に行こうと一所懸命勉強する研人の受験の行方は。

 

周辺にいる人々の心の優しさや、控えめだけれども行き届いた心遣いにほっとする。ここには日本人が置き忘れてしまった何世代も同居しながらやさしい家族がいるのである。

 

最新刊に「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」があるので近日読んでみる予定である。

鳥越候補のスキャンダル

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都知事選も終盤となって、事実上は鳥越、小池、増田氏の3つ巴だと伝えられている。そんななか此処にきて、鳥越候補のスキャンダルが週刊誌で報じられ、にわかにきな臭い話になった。



鳥越氏は大わらわで否定し、掲載した週刊誌を告訴するとしている。名誉毀損罪というのは、毀損された内容が事実でも、一般の私人であれば、その行為が名誉を傷つける限り、犯罪となる。



しかし公職の候補者である場合、それが真実であればその行為は公益のためとみなされ、毀損したとする人若しくは団体は罪に問われない。だから今回のような週刊誌の記事が名誉毀損となるかどうかは、もっぱら事の真偽にかかってくるのである。



しかしこの告訴本当に最後まで維持し、そして嘘だとすれば慰謝料を請求すると言った民事訴訟にでもすべきものだが、果たしてそれができるのだろうか。小生の観測は鳥越氏は選挙が終わったら、その結果にかかわらず、告訴を取り下げるだろう。



特に民事訴訟は起こすことさえできないかもしれない。小生はこのスキャンダルの真実か否かは知らないが、事実無根と主張するなら、ぜひ民亊訴訟までやってほしいのである。



逆に言えばそれができなければ、限りなくスキャンダルはあったと私は思う。橋下氏が鳥越氏の反応を「人に厳しく自分に甘く」と評したそうだが、わきの甘い人である。



また小池氏に自分が病を得ていることを指摘されて、「病人が復活してはいけないというのか」と攻撃したというが、第1次安倍政権の際どれほど安倍氏を貶めたのだろう。人様の病は非難しても、自分の満足に遊説もできない非力さは許されるのだろうか。

東京都知事選

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告示が間近に迫った東京都知事選がにわかに騒がしくなった。先に立候補を表明した小池氏を自民党の都連が難色を示し、「温厚で実務能力がある」という理由で増田元総務大臣を公認候補として立てることとした。



一方民進党を中心とする野党は頼みの蓮舫参議院議員が固辞したことで、古賀氏にいったんは決めながら、鳥越氏が立候補の意向を示すと、得たりとばかり統一候補にした。先に立候補の意向を示した宇都宮氏は、今度は立候補を取り下げるよう説得されているということである。



率直に言えば、自民党の知事選択基準が「自分たちの言うことを聴く人」という基準らしいという底意が見えてにわかに賛成できない。然し野党の候補者選定もいみじくも宇都宮氏が言っている通り、「知名度だより」で候補者を決めることこそが問題というように、その選定基準はいい加減である。



そしてマスコミはさりげなく鳥越氏を持ち上げたコメントを出してくる。だが鳥越氏の政治家としては全く未知数なうえ、過去の国会での参考人としての話を聞く限り、自説を一般論として主張することはうまいが、政治の執行者としては信頼できない。



鳥越氏はもともと評論者として他人のことをあげつらうことはできても、本当の意味での政治家としてバランスの取れた施策を行えるとは言えない。そういう意味では所詮口先だけの人というのが小生の受けている印象で、都知事として最適だなどとは思えないのである。



また立候補の理由が改憲勢力が3分の2以上となって、憲法が変えられそうだというのも「それは都知事の仕事か?」と思わせる。都民はどうかその売れている名前などに惑わされず、きちんとした判断をしてほしい。