一本の見えない道を見る。(前編) | タロットの煌めき マルセイユタロット活用術

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伝統的なマルセイユタロットを使っての、自分と人のために活かせる知識と方法をお伝えしています。

その時はわからなかったものが、あとでふり返ってみると、意外にも一本の道でつながっていたのではないかと気がつくことがあります。いわば、見えない大きな意志のようなものです。


そのことがわかる事例として、ほかならぬ私自身のことで、私のHPのブログに以前掲載したものをここで転記したいと思います。


ちょっと長い話になりますので、二回にわけて小さめの文字(見にくくてすみません)で書かせてもらいます。



私は大学を卒業して、最初に就職したのが某信用金庫でした。ところが、もともと当時流行っていた用語でいうと、“ピーターパン症候群”と言いますか、社会に出ることがとても怖い人間だったんですね。それまで、アルバイトなんかもしていたのですが、「就職する」ということに、何か自分が一生縛られるような、牢獄入りするような、非常な恐怖感があったのです。今なら確実にニートとして引きこもっていたでしょう。


とはいえ、就職しないわけにもいきませんでしたので、何とか遅まきながら就職活動を開始したのですが、やはりもともと就職する気が希薄な上に、自己アピールも苦手で、さらに活動が大幅に遅れたことで、面接の受付自体も進みにくい有様でした。また私の専攻する学部も、企業に受けの悪いということもマイナス要因でした。


そんな時に、大学の就職コーナーの張り紙を見ていますと、同じ学部の知人が来て、「俺、銀行に決まりそうだ」という話をしてきたのです。何の策もない私は、「そうか、就職に不利な我が学部も意外に銀行関係はいいのか・・・」と勘違いし(苦笑)、それからというもの、銀行方面にターゲットを変えたのです。


けれども、実は私は、数やお金の計算というものが大の苦手で、その年代の方にはわかるでしょうが、「ハクション大魔王」(笑)のごとく、数字を見るとクラクラしてくるタチなのです。そんな人間が銀行に就職なんて、今考えると、土台おかしな話というしかありません。


それでも人間の運命とは数奇なもので、銀行はダメだったのですが、信用金庫には最終選考まで残り、内定をもらってしまったのでした。これは私という人間を評価してくれたわけではなく、どうやらたまたま人手不足みたいで、大卒も少ない状態だったので、入れてくれたみたいなものです。


さて何とか信用金庫に就職が決定したのは良かったのですが、やはりピーターパン症候群の上に数字アレルギーという決定的な欠陥を持ちつつ(笑)、「信用金庫」というありえない所へ働くことになったために、実際の結果は明白でした。


かろうじて研修期間は持っていたのですが、ある支店に配属されてからは、たちまちのうちにめげてしまい、お客様から預かったお金はなくすわ、開店中の殺気立つ受付お姉様の合間を縫っての機械作業などにもへこたれるわで、情けなくもわずか三ヶ月という期間で退職するはめとなってしまいました。。。


しかし、この信用金庫は結構美術や芸術好きな風潮があり、その点は私は好きだったのです。それでその信用金庫がこの時新しく建設していた本店ビルがあり、完成の暁には、店舗前にある彫像を置くことを予定していたのでした。けれども結局私は、その本店完成前にそこを辞めてしまったというわけです。


その後、ある理由で公務員を目指す決心をして、何とか公務員試験に合格して某地方公務員となることができ、どうにかこうにかそのまま働いていました。思ったよりはるかに難しい仕事ばかりでしたが、公務員生活にも慣れてくるにつれ、「もうここで一生終わるのだろうな」と私は信じていましたし、それなりに公私ともに充実した日々を過ごしていたのです。


しかし私の経歴紹介でも書いてますように、転勤をきっかけにやがて心身の不調に陥り、神経症うつ病になってしまいました。治療のため、休職も余儀なくされました。ここから私の人生において、大きな転機が始まったのです。


私は休職復帰を繰り返しつつも、なかなか完全なペースに戻ることができなくなってきました。「人間とは何か」とか、「生きることは何か」「仕事とは」など、いろいろと考え、もがくように行動していました。


それはまるで人生の迷路にはまりつつも、ひたすら探求の道筋を求めた時代ともいえます。


そんな時、タロットに出会い、公務員の退職も決意することになりました。(この間も相当な迷いと苦しみがありましたが、割愛します)


次回につづく。