医学が病気を治せない理由2 | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

何故病になるのかもわからなければ、当然治し方もわからず抑え込むのが精一杯だ。

症状ばかり見るからそうなるのであり、生命とは何かという立体思考が欠けている。


医学の大きな分類は現代医学と世界各地の伝統医学、伝統医学の一つに東洋医学があり、その中には中国で生まれた中医学、チベット医学、インドのアーユルヴェーダなどがあり、それぞれ現代医学とは異なる理論による治療を行っている。

どれも基盤となるのは「理論」であることに変りはなく、間違えれば答えが出ないのも理論、色んなケースが数多くあり得ると言うのは自由な持論であり理論とは言えないだろう。


伝統と名が付くように代々引き継がれて来た理論であり、異議を唱えれば宗教などと同じように分裂、時にはいがみ合うことになりかねない。

野人の言う「理」論とは、誰が解いても同じ結果、いがみ合う理由すらない理論のことだ。

 


野人の植物の研究は20年以上に及び、資料は別にして、保有する植物図鑑、薬草辞典、漢方書、関連書籍だけでも100冊をはるかに超える。

趣味で始めたわけでもなく、目的に必要だから徹底してやった。

生物、植物学は物理とは無縁だが、基本的な知識は広がった。

知識は覚えるものでもなく使いこなす為のもので、理論構築の始まりだった。

今はそれらを開くこともなく、独自の理論で研究を進めている。

植物への関与は木の実に始まり、山菜、薬草、有用植物と続き、最後が野菜果物穀物、古代人類が植物に関わった歴史を歩いたようなものだ。


植物は毒草もあれば薬草もある、自らの体で人体実験、毒効もあれば薬効もあることは間違いないが、それらの成分「健康」とは関係がないことに気付いたからそれらの本を読まなくなった。

野人理論の、「今の流通野菜、成分など、多少の効果はあっても本来の健康とは全く関係がない」と言い切った道理は、長年の研究と自らの実践体験に基づいている。


薬と言う字に草冠が付くように、大半は植物の特定成分を抽出精製したもので、薬と呼べないサプリも健康食品もそれに準ずる。

精製度が異なるだけで、どれも成分重視には違いない。


生物や植物学のように平面的な知識ではなく、野人は植物を通して立体的な「生命の仕組み」を学ぼうとした。

しかし、世界には学ぶべく文献も資料も研究所もなく、そのような目的と視点を持った師もいないから独自で研究するしかなかった。

植物を物理的視点で捉えようとする人はいないのだ。

人に教わるほど楽なことはないのだが、いないものは仕方ない。



皆目解らない植物の仕組みに思考錯誤しながら三重の山中に足を運び続けた。

机上の理論で生命の仕組みが理解出来るはずがないからだ。

田畑と違って完全な自然界の植物に自らが原因の病気は存在しない道理も理解出来た。

 


ここで紹介する理論は、目的を見据えて物理的な仕組みを探究して来た成果だ。


他の療法は詳しくは知らないが、はっきり言えることはある。

人類の医療のどの方法も


「寿命を全う出来ない」という事実であり


それが最も重要なヒントなのだ。


建築に例えるなら、基盤が揺らぎ、耐用年数が極端に短いのは構造計算から間違っているということであり、維持管理法の間違いが拍車をかけている。

構造とは生命の構造であり、体の維持管理の間違いも生命の仕組みがわかっていないことに尽きる。


続く・・



生命の仕組みのお話 5

http://ameblo.jp/muu8/entry-11414998175.html
マクロビオティックの盲点 3

http://ameblo.jp/muu8/entry-11137024125.html

ミネラルとは何だ

http://ameblo.jp/muu8/entry-10269415195.html