進化途上の菜食文化 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

自然界に生きることは厳しい。

動物は食物連鎖の中で身を守りながら捕食採取して生きるべく進化して来た。

飢餓、事故、感染症、生を全うする確率が低いがゆえに大量の子孫を残そうとする。

人類は安心して住める環境を整え、穀物野菜家畜を生産して生存の確率を高めたが、彼らにはない病に苦しみ、ほぼ全員が病の予備軍となり、健康が人生最大の関心ごとになってしまった。


自然界にあり得ないことが生じるのは何処かで間違えたからに他ならず、その究明に世界中で血眼になっているが手には負えず深刻さは増すばかりだ。

病の種類もそれに侵される人の数も半端ではなく年々激増している。


答えは現在の科学、医学、栄養学、健康学の範疇にはないと考えるのが妥当で、立派なヒントがあるではないか。

つまり、病の解消予防に常識や本や人の教えやTVのCMは役には立たないと言うことになる。


人類の食性は、肉食中心の雑食から主食となった穀物中心へ移行途上だがほんの入口だ。

進化と言えば聞こえは良いが、野人はそうは考えない。

農業のおかげで大勢の人が飢えずに暮らせる反面、人の機能は退化に向かうだろう。

知識は増し、体格も良くなったが、本来の機能が失われつつあると感じている人もいるだろう。

病気、根気、生気だけでなく、使いこなしていない脳機能の存在も謎のままだ。


草食男子と言う言葉がどのような意味なのか大半の人は知っている。

雑食から草食へ向かったパンダやコアラ、人類に近い知恵のあるオランウータンやゴリラがどのような方向へ向かっているか知らない人もいない。

動物が生きる大きな目的は繁殖であり、生気が衰えれば繁殖力も衰える。

他の動物には見られない深刻な不妊症などが示すように、人類の繁殖力にも先進国を中心に衰えが見え始めている。

絶滅危惧種の繁殖に何故苦労するのか、絶滅の原因は人類にあるのか、その道を選んだ動物そのものにあるのか、その仕分けが必要だ。


引き継がれた知恵と文化を学ぶのも大切だが、その大元である自然界から学ぶことはもっと大切な事だ。

野菜に原因があるとするなら農業の原点に、食性に原因があるとするなら人類の原点に戻って考え直すべきだろう。

それらには何の問題はないとするなら現状を続けるしかなく、これまでのように病人を増やしながら他に原因を探し続けるしかないだろう。


人は間違いを繰り返し、それは今も続いている。

その間違いを正し、修正して来たのもまた人類。

世紀の発明も、修正も、最初は常識の壁に立ち向かった1人の人間が成したことではないのか。


多くの人は発明の恩恵を受け、修正に従って来た。

しかし多くの人が常識に依存することなく自ら考え、修正に努力すれば世の中は変わる。

困る人も悩む人も苦しむ人も飢える人も激減するはずなのだ。


人間の学問とは何か、人間本来の学びとは何か、あらためて考えてもらいたい。

本をひたすら読むことなのか、人に教わることなのか、答えは自ら出すしかない。



人の知性 6千年前ピーク?

http://ameblo.jp/muu8/entry-11409923987.html


噛んで食べる理由 噛まない理由

http://ameblo.jp/muu8/entry-11347871642.html