理論に終わりはない | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

野人の考える理論に終わりはなく、生きている限り永遠に続くだろう。

「こうあるべきだ」と言う大まかな理念ならともかく、具体的に実現可能な方程式の創造は気が遠くなるほどの時間を要する。

単純だが常識とは異なる未知の理論、時には間違いを修正しながら精度を増し、読者の協力によって新たな理論が生まれる。

読者にとっては目からウロコだろうが、野人にとっても読者の情報は目からウロコ、実践する読者なしでは理論は裏付けされず、完成はあり得ない。


野菜畑を手掛けたばかりで、これからサトウキビに茶畑、果樹園に取り組まなければならない。

今月中には茶畑2反の改造を終える。

重要な主食で農地の大半を占める米、麦などはまだこれからなのだ。

農業だけでなく、荒廃した山林や過疎化山村漁村の再興、畜産、漁業問題も控えている。

さらには生ゴミ処理、高齢化、医療、世界の貧困、飢餓問題など果てしなく続く。

誇大妄想、不可能と思われるかもしれないが、生ある限りすべて取り組むつもりでいる。

これらは、机上ではなく自らの実践をもって確かめずして理論を完成させることは不可能。

生涯を費やしても時間は足りないかもしれない。

しかし、やってみなくてはわからないと言う中途半端な決意ではなく、必ずやり遂げる意思もビジョンも持っている。

立ち塞がる壁はとてつもなく大きくとも不可能と言う思いなどまったく頭にはない。

天災ではなく人間がやったことだから必ず修正出来る。

「仕方ない」ではなくすべて「仕方ある」問題なのだ。

結果として志半ばで果たせなくなることもあるだろうが火が消えることはない。

意思を引き継ぐものが育てば彼らが、さらにまた次の人間がやり遂げるだろう。

その道を切り開くことが野人の使命だ。

迷わない「指標」となるものが確固たる道理であり、理が通ればいつか必ず結果は出るはずだ。

世界中の学者から、「おかしい」「無理がある」「不可能だ」と言う言葉が出て来ない完全なる方程式を組み立てれば必ず成し遂げられる。


野人は人間を信じている。

置かれた立場は四面楚歌でも、良心と疑問を持ち続ける人はいる。

世の中がこのままで良いはずがないのだ。

同じ志を持つものは必ず集まって来る、梁山泊のように。

各自が手にするのは武器や火薬ではなく森羅万象の理。

理を使いこなすのも命を吹き込むのも人の心次第。

誰もが耳を傾ける地球に優しいオーケストラでなければならない。