野人珍話列伝 禁断の観音崎その後 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

大工の棟梁の跡を継ぐべく修行に励んだエテ彦はすぐに結婚して子供をもうけたが、同級生と駆け落ち、数年で挫折して出戻り、相変わらず世間をお騒がせしていた。

数年前、中学の同窓会で久しぶりに再会したのだが、無茶と大酒が原因で3年前に世を去った。

驚異的なゴリラの心臓も持ちこたえられなかったのだろう。

悪いことも良いことも・・いや良いことはあまりないが、すべてやり尽くし、学生時代スーパーヒーローとして脚光を浴び続けたから満足だろう。

私生活はムチャクチャだったが水泳だけはサボらず真面目に練習、中高の6年間は水泳が生き甲斐であり水泳がすべてだった。

野人は進学コースでクラブ活動は出来ず、試合のみの参加。

人よりも速く泳ぎたいとも思わずプールに執着もなかった。

エテ彦は水泳部の主将だったが謹慎だらけで不在が多かった。

野人を除く水泳部の3年生5人で夜のプールで酒盛り中、理科室から火の手があがった。

いち早く裸足で駆けつけ消火活動、ボヤで消し止め表彰され新聞にも出た。

しかし酒臭さもタバコも発覚、当然のように次はエテ彦以下全員謹慎が待っていた。

謹慎を承知で酔っ払っても千鳥足で火を消し止めたエテ彦は偉いと思ったのだが、バレて謹慎とは頭になかったようだ。

「母ちゃん 母ちゃん」と言って甘えるエテ彦と、子分を引連れ謹慎停学を繰り返すエテ彦、どちらも彼の素顔であり、心のままに生き抜いたと思う。

負けても負けても野人と相撲をとり続けるエテ彦、喧嘩に負けてもその様子を面白可笑しく吹聴するエテ彦、裏表のないエテ彦には陰の部分を感じなかった。

エテ彦が真剣に怒った顔を子供の頃から一度も見たことがない。

だから弱きものに拳をあげることも自分から喧嘩を仕掛けることもない。

誰に対しても優しいのだ、子供にもジジババにも・・

バーのねえちゃん達にも、同級生にもまんべんなくモテたのもわかる。

一番印象に残っているのは、やはり高校3年のマラソン大会だ。

前夜、あれほど大酒で泥酔していたのに、ぶっちぎりのトップで学校のゲートを入って来たエテ彦はランニングパンツではなくTシャツに破れかけたジャージだった。

後続はまったく見えない。

1500人の生徒と先生の、どよめきと拍手で迎えられたエテ彦の表情は苦しさのかけらもなく、トラックを走りながら「ああ~~しんど・・飲みすぎた~」と言いながらも笑って手を振りながら観客に愛嬌を振りまいていた。

走る音は軽快ではなく、重いので・・ドスドス・・だった。

大酒と煙草と巨漢とマラソン・・・今も摩訶不思議な謎の一つだ。

エテ彦はあの若さで既に常識の壁を超えていた。

今頃は観音崎で・・観音様と一緒に大酒飲みが潜りに来るのを待っているかもしれない。