病院長との付き合いは長い。
30代の頃、野人は得体の知れない肋間神経痛に似た症状の激痛で身動き出来なくなることが何度かあった。
息が出来ないくらいで、軽い場合はろっ骨をガムテープで固定して船に乗っていた。
まったく動けなくなり救急車の世話にもなった。
院長は神戸の自分の病院に二つしかない特別室に野人を三日間拘束した。
バストイレ付で喫煙まで出来るホテルのような部屋で料金を取らなかった。
理由は不純で、「一緒に遊べないと自分が困るから」だった。
ありとあらゆる手を尽くして最新機械で検査をしたが原因は不明、そのことは最初から野人にはわかっていたのだが院長が必ず究明すると言うから仕方なく付き合った。
野人が鳥羽国際ホテルから合歓の郷のマリーナ支配人になると、ボートを購入してマリーナに保管、ボートは野人がいつでも自由に使えるよう自動操舵やソナーなど最新機器を装備した。
自分で運転するわけでもなく必ず野人が船長で、釣った魚での夕食と話が楽しみだった。
海に潜って魚なども突いていたのだが、ダイバー仕様のクオーツ時計が体に合わず左の肩こりがひどかった。
オートマチックのダイバー時計は狂いがひどく、精巧で頑丈な時計を買うつもりだったが、院長は買わなくてもあるからと言う。
院長がくれたのはロレックスのサブマリーナであまり使っていなかった。
ゴツくて彼の手には重すぎたようだ。
同じ時期、別のマリーナ会員が野人に時計をくれた。
理由は重くてとても使えないからあげる・・・と言うことだった。
それもロレックスの「シードゥエラー」と言う水深2千メートル耐圧時計だった。
厚みもサブマリーナを上回り確かに重すぎる。
ダイバー用だからこんなものを使うのはダイバーくらいなのだが、日本人は見栄っ張りなせいかブランドに弱すぎる。
道具は飾り物ではなく使いこなしてこそ道具だ。
傷だらけの野人の腕時計達 2008 8月記事