答えにならない人間の錯覚 | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

りんごは農薬なしでは出来ない。これは植物をまったく理解していない早急な結論だろう。それが常識となり全員それに倣う。それが百年近くも続いた。他の野菜や果物にも同じようなことが言える。

それは、人に出来ないのであって植物はあずかり知らぬこと。気候など条件さえあれば出来るものは出来る。現に農薬を使って出来ている。

自然界にとって農薬は条件ではなく、出来ることには違いないのだ。農薬は人が選んだ一つの手段に過ぎない。それが物理的な思考の順路ではないだろうか。「これしか無理だ」と結論付けるのは地球上で最高の知恵を持つと自称する人の傲慢さだろう。

農薬を使うしかないと決めつける前に、出来るものが何故農薬を使わなければ出来ないのかと考えれば良いのだ。理由が病害や虫害なら、何故そんなことになるのかを考えれば良い。それを極めず先へ先へと進もうとするからこのような結果になってしまう。これだけの文明を築いた知恵を持つ人間としてはお粗末すぎるだろう。

野山にはお手本がごろごろしているのだ。

人は自分が間違っていると思いたくない。だから「虫は、鳥は、草は困ったものだ・・」になってしまう。つまり、「他のせい」にしてしまう。そうなれば「退治」の道を突き進む。これが、科学が脇道に逸れる分岐点だろう。

大地には無駄がなく、間違いなく草と虫と鳥は必要なのだ。

病気の治療も、これと同じことが言えるのではないだろうか。