野菜と他の食品の明確な違い | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

人間にとって野菜、果物類と他の食品には明確な違いがある。動物は草食性、肉食性、雑食性に分かれるが、全ての生き物は植物なくして生きては行けない。植物が全ての生き物の生命を支えている。肉食動物は草食動物を食べる事で間接的に植物の養分を摂っている。草食動物は草なくして生きられず、肉食動物は草食動物なくして生きられない。

人間は雑食動物だが狩りを中心に何万年もの間植物と共に生きて来た。

長寿と言われる人は100歳以上だからそれくらいは生きられると言うことだ。そう考えればそれが正常で90歳は短命と言うことになってしまう。

医学の進歩で伝染病や事故などで亡くなる人は激減したが、寿命をまっとう出来ない理由の大半は「病気」だろう。病気とは機能不全、つまり細胞の異常が主因だ。老化と言えばそれまでだが、寿命の半ばで命を失う人があまりにも多すぎる。病院へは病気になってから行くのが通常で健康は自己の責任だ。科学医学は進歩したが、進歩したのは体の修理、対細菌で、病気に対しては延命などの対処療法が中心で、いまだに治せない病気が多すぎる。つまり、体の構造はわかっていても生命についてはいまだによくわかっていないのが現状だろう。どのように釈明しようが結果がすべてを物語っている。医者は出来るだけの努力をするしかないのだ。最先端の技術を持ってしても治せないものは治せない。

野人は病気は今の医学で治せるはずがないと思っている。一時的には治せても病気になる原因は自分にあるのだからそれを突き止めて修正しない限りまた病院へ戻る事になる。あれが良い、これが効くと、治すことに心血を注ぐよりももっと足元を見つめて生き物の原点に戻ったほうが良い。個々の細胞の寿命は短く次々に生まれ変わる。生き物の道理に適った暮らしをすれば細胞は必ず正常に戻るはずなのだ。それが自然治癒力でありその可能性に賭けた方が回り道しなくて済むと考えている。

あれが悪い、これが体に良くないと、世の中には情報が溢れているがたいしたことでもなく、人類の歴史から見ても、明らかに欠如しているものはビタミンやミネラルではなく正常な動植物しかないのだ。近代農法が波及する前までは聞いたこともなかったような病気が蔓延したことからもわかるだろう。農薬や食品添加物はそれまでもあったが、種類は増えても安全基準ははるかに厳しくなっている。食糧庁のデータからも周知の事実だが、野菜の成分がその大きさに比べて激減している。飽食の時代に「足りない」からとサプリが流行するのも間違ったプラス思考だろう。

人間は今さら野山で猿のように木の実や新芽を食べるわけにも行かない。どうすれば良いかはそう難しいものでもない。植物は水さえあればどんな場所でも生えてくるし、人が育てるものでもない。食料は食料で必要だが食料と健康は切り離して考えたほうが良い。野菜とは何か、植物の本質を有しているのか、常識を原点から見直す時期だろう。人の思い、願望、欲が植物の在り方を変えたようだ。野人には今の野菜と人体の状況が重なって見える。食生活を大きく改善するのはこれからの人の知恵にかかっている。