温故知新 古代食 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

生き物は何万年、何百万年、時には何億年もかけて進化してきた。

それは植物も動物も同じで、その過程を変化と言おうが進化と言おうが衰退と言おうがそんなことはどちらでも良いのだ。


種の絶滅、消滅寸前に余計なものを捨てて殻を閉ざすことは退化でもあり、新たな道を歩く為の進化ともいえる。

枝分かれして幾つもの道を行く種もある。

自ら動く事の出来ない植物性プランクトンが自ら動く動物性プランクトンを生み出した。


これを進化と言えばそうなるが、必要な2極の道を決めたのは植物性プランクトンの明らかな意思だろう。

そして今も食物連鎖の起点に君臨している。

自ら進化したものも大木として地球生命の頂点に君臨しているのだ。


そのプランクトンから大木までの全てのラインなくして地球上の生命は生きては行けない。

肉食の魚介類、昆虫、動物は数知れず、しかしそれらも植物と言うお釈迦様の掌で命を繋ぐごく一部の存在に過ぎない。

人もまた同じなのだ。


生命エネルギーである電気は宇宙そのものが、地球で生きるのに必要な酸素、水は植物群がお膳立てした。

そして肉体と精神を維持するための食べ物もまたお膳立てした、何十億年もの気が遠くなるような時間をかけて。

それから見れば人の文明はわずか数千年、現在の食生活の形態は取るに足らない瞬間のような年月だ。


地上の他の生き物の追従をも許さないほどの高度文明を自負する人類が与えられた寿命すらまっとう出来ず喘いでいる。

自ら選んだ方向が間違っていなければ、何故これほど医療、健康、食の問題に迷走するのか、もう一度考え直すべきだろう。

恥の上塗りと言う言葉があるが、プライドの高い人間は失敗を認めない。

そしてさらに穴を埋めようと次の手を考える。

これこそ知性の盲点であり愚かな事だ。


謙虚に生命の原点に戻り、じっくりと修正すれば良いのだが、野人の言うことは間違っているだろうか。

健康とは努力することではない。

運動にカロリー計算に生活習慣、さらにはサプリや器具など無駄な事だ。

多少の効果はあるだろうが、既に世界中で証明されている。

にもかかわらず相変わらず色んな商品がウンコのように湧いてくる。


野人だって、あれは駄目、これは体に良くないなどと修行僧のような生活をする気は毛頭ない。

旨いもの食って楽しい事がしたい。

人が健康を損なうのはそのようなことが理由ではない。

食えるものなら何を食っても構わないように生き物は出来ている。

タヌキだって何でも食うのだ。

ただ、人間ほど薬物に対する抵抗力はないから同じ物を食えばすぐに死んでしまう。


それほど強靭な肉体を持つ人間にガタが来ているのは、あまりにも食の本質から外れ過ぎたからだろう。

つまり本来必要な、何万年もそれを必要としてきたものが欠けているのだ。

それは本来の肉や植物だと野人は確信している。

それが何十年も研究してきた答えだ。

根拠も数値もしっかりしているからこれから先も微動もしないだろう。


野人は決定ボタンを押してその方向に向かっている。

それに対する抵抗も障害も多いだろう。

まあ、世界の常識を崩そうとするガリレオのような心境だが、これで多くの人がお金も手間もかけずに健康を取り戻せるなら本望だ。


生命体には外部的な「治療」というものは存在せず、自ら細胞を修復するのが当たり前の道理。

治療とは人間だけが持つ特別用語のようなもの。

食と健康の答えは「古代食」にある。ご先祖様から学べば良いのだ。

何も食卓を古代に戻せと言うことではなく上手く取り入れれば良い。

どの程度かと言えば、適当で良い。

人は今さら猿には戻れないし野人も山羊にはなりたくない。