昔の気象予報士 野人 | 野人エッセイす

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20代から30代にかけて野人は気象予報士のようなものだった。今のような制度はなく、テレビの予報も精度は悪かった時代だ。予報士と言っても晴れか曇りか雨かではない。そんなことはどうでも良かった。肝心なのは風向と風力だったからだ。今はタイムリーな情報がファックスで流れる時代だが、当時の詳しい情報は1日2回のNHK第2放送のラジオから流れるものだけだった。放送は約20分くらいだったと思うが、中国、ソ連、南太平洋までの各地の風向、風力、低気圧、高気圧、前線の位置と気圧を気象用紙に書き込んでゆく。最初はアナウンサーの速さに付いていけなくて記録したものを後から作図していたが、余裕しゃくしゃくで直接書き込めるようになっていた。「ウラジオストックでは北北西の風、風力3、天気曇り・・」と流れるのを次々に作図した。海上情報で「北緯30度、東経・・では」と来ると瞬時にその位置がわからないと作図が追いつかない。書き終わってからが予報の時間だ。それで明日はどの方向からどれくらいの風が吹くと言うのを予想する。この海域では波高がどれくらいになり、何時頃からもっと高くなると言う事まで予測していた。3日や1週間の航海では帰りのことまで考えなければならない。航海中も作図して急変するようなら帰港の決断しなければならなかった。それが船長としての義務だ。国内でも3本の指に入る難所で東シナ海の黒潮本流、トカラ列島だったのだ。不定期航路で仕事ならどんな未知の海域も走った。波に突っ込み、潜水艦のような状態でもブリッジで必ず作図して判断していた。命がかかっていたから普段はバカの野人も天才的頭脳に変身していた。「アイムソリ~聞き間違えちゃった!」は即、海の藻屑だ。普段の低気圧も強烈で、春の嵐など熱帯低気圧以上の凄さがあった。

台風に至っては「真剣勝負」と言うほうが正しい。正確に風向、風速、通過時間を読まなければ、近づいてからは対策も手の出しようもないからだ。ロープは一番風の強烈な方向を強化する。過ぎ去ってからの吹き返しの北西風も強烈だ。伸びきったロープで船がしゃくられ瞬時にはじけて切れるからだ。南東の風が5時まで25m吹き、南へ変わり8時から北西風が20m来る・・と言うように細かく予測した。中心が現在地のどちら側を通過するか予測出来ない場合はフル装備係留の迎撃体制に入る。それだけ準備も解除も大変な事だ。正確な気象衛星と民間予報事業が入ってからは便利になり、そんな苦労もなくなった。携帯で予報を聞いたり、今は地域の風速も出るようになったが、これがまた外れてばかりだ。風速については野人のほうがもっと正確だった。誰が予報出しているか知らないが、機械ばかりアテにしてマニュアルどおりやっているから、思考の知性が欠けている。予報はデータばかりでなく、実際に空を見て風を感じる感性も必要だ。三重に来てから大型リゾート施設でも天候についてはゴルフ場やフロントなど各部署から頻繁に電話がかかった。「明日の雨の程度は?」とか「午前中は晴れるか?」とか天候がほとんどだ。その度に答えていた。「晴れるか雨かなど知らん~!テレビ見なさい」と。

野人は雨に濡れる事などまったく気にしないし洗濯も滅多にしない。怖いのはあくまで風と波だ。