人間の肥満と野菜の肥満 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

先に「動植物の細胞の優れた機能」で述べたが、細胞の肥大は動物と植物は目的がやや異なる。燃料給油口を土中に伸ばした植物と違い動物はエサを探し回る必要がある。エサは年中安定してとれるはずがないから燃料である糖分を脂肪に変えて細胞に蓄えるのだ。また必要な動きに対して筋肉細胞も骨も太くなる。この場合の細胞は肥大するだけでなく強くなる。植物も砂漠などの過酷な条件下では水分を蓄えるが安定していればそれほど肥大しない。植物は日照や土質に応じて全体の形を変化させるがそれについてはまた後日書く。

人の肥満は万病の元と言われ、メタボなる言葉も流行している。細胞は生命活動に必要だから一時的な備蓄倉庫として脂肪を蓄えるが、細胞を構成する基本物質の量は変わらず、脂肪を受け入れる事で膨らむ。砂漠の植物も乾季に備えて水分を蓄えて膨らむ。

動物も植物も年間を通して脂肪や水分の量が変わらないことはなく代謝しているのだ。だから病気になることはない。代謝しないのは人間とペット、家畜、養殖魚くらいだろう。長期蓄えられた脂肪は不自然で本来のものとは質も異なる。その理由についてはまだ確信が持てない。相撲取りやレスラーや投擲などのスポーツ選手には脂肪のある人が多いが激しい運動で代謝しているから特に問題はない。食べるものや量によって肝臓などの内臓を痛めることはあるだろう。

問題は植物の肥満だ。植物はその土壌や日照に合った成長をする事は述べたが、過酷な条件下でない限り肥満はしない。通常は幹や葉には養分を蓄えるようにはなっていないのだ。植物は根からすべてを吸収するが、養分は水に溶けてイオン化されないと吸収出来ない。だから雨の度に成長する。毎日水を与えれば毎日吸収して成長し、肥料を与えれば嫌でもそれを吸収せざるを得ない。つまり、植物は土壌にとって余計な水分や養分を地上に出す役割も果たしている。水はけを良くして保水性をも保つのが植物の仕事だ。細胞は水と養分の一時倉庫として膨らみ、土中の水と養分が遮断されれば自己消費に使われるが、土中に入れた養分がなくならなければ吸い上げ続けて肥大したままだ。潅水を続けたり水耕栽培すれば水分も正常に戻らない。伸びて膨らんだ細胞は当然の如く細胞膜も薄く、虫にとっては食べやすくなり養分分散の片棒をかつぐことになる。野菜の肥満は、病気ではなく自然界の道理だが、少なくとも細胞は正常な状態ではないのだ。だから動物は食べようとせず他の葉を選ぶ。本能がそうさせているのだろう。肥大したままの野菜は正常に育った野菜が枯れるのに対して溶けて腐ることになる。水分が多く、吸い上げた養分でバランスが悪いから自己分解がうまくいかずに腐敗する。一つの細胞が持つ消化酵素の量は変わらない。自然界のものは細胞が死ぬと細胞膜が破れて酵素が自らを溶かし、周囲についている微生物も一緒に分解を始める。猟師が獲物の死骸を山で滅多に見ることがないのはそれが理由だ。化学肥料や有機肥料で膨らませたまま収穫し、水道水で綺麗に洗ってラップした野菜が腐って溶けるのは当然のことなのだ。食べて悪いとは言わないが、そればかり食べて本来の「植物」をまったく食べないのは動物の「道理」に反する。膨らんだ野菜は重量当たりの成分ミネラルが激減するのは当たり前で、消化酵素も当然少なく、健康的と言えるものではない。野菜も肉も養殖の魚も同じだが、膨らんだままのものばかり食べていれば寿命を縮める事になりかねない。見た目の色、形、柔らかさ、食べやすさ、味の良さ、これが本当の人間の食文化と言えるのだろうか。食べものとしての本質を維持したまま味を追究すべきだろう。健康の悪化は「早く立派に」という人の欲が招き入れたものなのだ。