水だけで体の汚れが落ちる理由 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

石鹸やシャンプーなどの入浴剤を使わない読者が増えて来た。

誤解のないように念を押しておくが、野人は廃止論者でも運動のリーダーでもない。

自然科学の目から見た「道理」を説いているのだ。


本来、生き物はそれらを必要とはしないと。

自らの体の人体実験を通して、何故そのようになるのか、その原理を数年かけて調べ、答えを出した。

洗剤は人類が発明した便利なもので野人も必要とする。

使い方の問題なのだ。


使い方は自由なもの。

それぞれが目的に応じて使えば良い。

体に悪いからと無理する事もない。

美を追求する人もいれば、快適さを重視する人もいる。

タバコや酒も同じことが言える。

「入浴剤は必ず必要だ」と言う常識が変われば、それを前提にしてそれぞれの選択肢も分かれてくるだろう。

そうなれば今よりは健康も環境も改善される、それでいいのだ。


道理は説明出来なくとも無意識に、あるいは面倒で長年入浴剤を使っていない男性は多い。

それらの男性は既にそれが当たり前の常識になっている。

そして風邪もひかない。

今回実践した女性達は快適な本来の状態に戻っている。

人は長年の慣習をやめることは非常に難しい。

まして入浴剤は記憶が始まる赤ちゃんの頃から使っているのだ。

やめろと言う方が無理なのかもしれない。


皆と同じように野人だって実の母親から、「何て不精で不潔な」とお説教されたくらいだ。

子供の頃は全員強制的にやらされたことだろう。

石鹸やめて二十年になるが、その仕組みが理解出来たのは数年前だ。

直接のきっかけは植物を研究して15年経ってからだが、自然界の全ての生き物が仕組みを教えてくれた。

地球上の生き物は例外なく微生物に守られている。

人間とそのペットだけが清潔、除菌を名目にすべて洗い流している。

体がおかしくならないほうが不自然なのだ。


いい例が子供の頃から延々と続く風邪や原因不明の熱だ。

泥浴びなどは別にして自然界で何もせずに汚れている生き物はいない。

植物も動物も鳥もすべて当てはまる。

色んな鳥を飼ったが臭い鳥はいないのだ。

あんなに毛だらけなのに温かくていい匂いだ。


生き物は人間ほどではないが不要細胞など色んな有機物を毎日表皮から出す。

にもかかわらず腐ったり臭くなったりしないのは表面の微生物のおかげだ。

水洗いはたまに降る雨水だけでも十分、そのような仕組みになっている。

水で流したくらいでは微生物は多少減りはしても何の問題もない。

植物の役目を終えた外皮細胞はゆっくりと成長に合わせて微生物が分解、動物の皮膚や汗の有機物は即時分解、元の酸素や水素や窒素に戻してしまう、つまり空気だ。


タンパク質は早急に分解しないと腐敗、外部から細菌が集まり健康を害することになる。

それが動物の表皮の仕組みで完全なる防衛機能なのだ。

微生物が有機物を分解した後、皮膚に残るのは汗と共に体が排出した「塩分」とごくわずかの微量元素、つまり有機物に含まれるミネラルだけだがミネラルは度外視してかまわない。

問題は「塩分」だけだ。

だから水だけで洗い流せるし、お湯ならもっと早い。

湯船に浸かれば温かくて快適、体温よりやや湯温が高いくらいで微生物は死なない。


一週間やそこらは何の問題もないが何ヶ月も水浴びしないと、表面が固まり、岩塩のように皮膚にこびり付き、汗と共に後から出てくる有機物を閉じ込めてしまう。

ヌカ漬けや味噌漬けのように柔らかく混ぜ合わせれば塩蔵効果も多少あるだろうが、サンドイッチなのだ。

だから腐敗して強烈な悪臭を放つようになる。

そうなったら微生物も手に負えない。

海から生まれた地上の生き物は水浴びが不可欠だ。


地球上には元々洗剤などはない。

洗剤などなくても困ることなく全ての生き物は生きて行ける。

人が発明した便利な洗剤は道理に合った使い方をすべきだろう。

台所の汚水と洗濯だけでも申し訳ないのに、毎日ジャンジャン湯水の如く垂れ流して一番迷惑しているのは他の生き物達なのだ。

これではエコどころかエゴになってしまう。