野麦峠の野麦はクマザサ | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

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「ああ野麦峠」という本があり映画化もされた。かすかには覚えているが吉永小百合さんが主演だったように思う。知っている人もいると思うが、野麦とはクマザサのことで、野麦峠は飛騨と信州の境にある峠で、一面クマザサが繁っていたことからこの名が付いた。野麦と言うのはこの地方独特の言葉だ。言葉の由来は、クマザサは数十年に一度枯れる直前に花を咲かせ実をつけるという植物の常識を超えた植物だ。竹の仲間は木でも草でもない摩訶不思議な種類。この実を粉にして食用にして食べていたのだが、飢饉になるたびに花が咲き実をつけたという人助けの植物でもある。つまり麦の代用にされていたのだ。

熊笹という字も使われるが、確かに熊も食べるが正確には隈笹と書く。冬を越すと葉の縁が枯れて白く隈取られることからこの名が付いた。大正時代には飛騨の若い女性達がこの峠を越えて長野県の製糸工場へ出稼ぎをしていた。激しい労働条件で病に倒れ、兄に背負われて峠越えの途中、「ああ・・野麦峠が見える・・」と言って息絶えた悲しい女工の碑が残っている。

野人の中学の水泳部の後輩に中学を出てから三島の紡績工場に働きに出た女の子がいた。貧しい漁村の娘で、ほとんどが働きに出て家計を助けていた。練習も一緒だったが夏休みは水泳部が多かったその集落へ遊びに行き、漁港の周りで大勢で一緒に泳いでいた。男達のサザエ獲り競争ではいつも野人の獲ったサザエの岸壁での受け取り役だった。漁師の子ばかりだったが毎回よそ者の野人が一番だ。高校の時、その子から涙の跡がわかる一通の手紙をもらったことがある。よくは覚えていないが、「たかしちゃん、辛いよう・・」と言う一行だけは今も覚えている。何も出来ない自分が本当に悲しかった。まだ15歳で遊び盛りだ。女工哀史と言う言葉にはもっと重みがあるだろうが、野人は高原一面のクマザサを見るとどうしてもその子が重なってしまう。

クマザサの丸まって柔らかい新芽は生で食べられうっすらと甘い。白く隈取られた葉を乾燥して煮出してもなかなか美味しい。薬草の研究をしていた頃、野草は全て生命力が強く内臓細胞が活性化することがわかり、ほとんどが利尿効果を持っている。その中でも利尿効果はクマザサが一番強かった。腎機能が極端に良くなるのだろう。変な薬よりも美味しくて健康的だ。クマザサはいたるところで見かけ、高原へ行けばいくらでもある。竹の仲間は切っても切っても次々に生えてくる生命力を持っている。食べても飲んでも美味しくてパワー溢れる食材だ。もっと活用されても良いように思う。買わなくてもタダで山へ行けばいくらでもある。笹風呂、竹風呂・・やってみるかな。

竹の持つ強烈なエネルギー研究については野人のライフワークであり、気の科学の最新版に書いた。