頭が禿げた猿はいない | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

生き物の体には頭だけでなく何も付ける必要などないことは猿から学んだ。

動物によって汗の仕組みは異なるが、体毛が極端に減った人間が一番汗をかく、そしてその分解の仕組みも進化して出来上がった。


色んなものを体にこすりつけるようになったのはここ数十年のことだ。

何万年の歴史の中のわずか数十年、簡単に適応出来るはずもない。

人は体に多様な薬品を用い、当然ながらその弊害も被ってきた。

足元の視点を見つめればわかることなのだが、豊かさゆえの妙なプラス思考がそれを妨げている。


前向き過ぎるのもまた困る。

肌や髪が若い頃より荒れてくると、「じゃあこの方法で治そう」とプラス思考がさらに進む。

そして「体に優しい自然のもの」に行き着く。

この世には人口のものなど最初から存在せず、形は変えてもすべては自然界のものだ。


自然のものなら大丈夫と言うのは大間違い、鉱物もそうだが植物は生き物にとって薬にも害にもなる。

毒がないから毎日皮膚に塗って大丈夫と言うことではなく、何もしないのが一番自然で道理に適っている。

あれが足りないこれが足りないと、何故人は足し算しか思い浮かばないのだろうか。

体に優しいと成分ばかりを気にするが成分はさほど関係がない。

優しいと言うのも聞いた話なのだ。

人は思い込みが強い。


何であろうが微生物と脂分を落とすことが不自然で問題なのだ。

それに、化学物質にせよ自然界から抽出したものにせよ、長い目で見ればその成分がどう作用するかは誰もわからないのだ。

ヘチマの水が良いからと毎日頭に塗ればヘチマみたいな頭になっても仕方ない。


動物の体は元々何かを付けるようには出来てはいない。

犬などのペットは、人が世話を焼き、洗剤で洗うほど皮膚病にかかって毛が抜けて行く。

水やお湯で洗うのは何の問題もない。

脂分と微生物を落とさなければ良いのだ。


水分が足りないから潤いを補給、コラーゲンを補給、何とか言う横文字物質を補給、進化した人の体はそんなに足りないものばかりなのか考えてみると良い。

足りないのではなくて自ら減らしているとは考えた事はないのだろうか。

ひもじいのは耐えられないから、食べて楽をして痩せると言うダイエット商品に飛びつくのと変わりない。

プラス思考と言うより、欲の思考とは思わないのだろうか。

己を省みて魂を磨く人間としての誇りに欠けているように野人は感じてしまうのだ。


アジア人の中で日本人は明らかに突出している。

何の不自由もない豊かな暮らしをしている人だけが持つ独特の思考だろう。


有機肥料も同じ事、有機崇拝主義がエスカレートしている。

そんな人に限って生兵法で、有機と無機の仕組みや大地の仕組み、さらには森羅万象の仕組みを知らないはずだ。

部分的に詳しくても全体を熟知した人にはこれまで一人もお会いした事はない。

有機なしで生き物は生きられない。

有機肥料が悪いのではなく、土のバランスを壊す事が問題だ。


植物は正常な土壌に復元しようと地上に押し出し、元の空気と水に分解する。


異常に肥大した野菜はその廃棄処理の産物なのだ。

虫も群がり、地上への拡散に協力する。

入れた有機の量と質によって、どの程度それが異常なのか人間にわかるはずもない。

余計な事をして、薬剤はやむを得ないとまたプラス思考、さらに土壌改良、果ては無菌工場で野菜を作るようにまでなった。

頭髪や皮膚と重ね合わせて考えてみれば似たような思考だと言う事がわかる。


頭が禿げた猿はいないのだ。