親指一本での逆立ち | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

テレビを見ていたら少林寺の僧が親指一本で逆立ちしていた。

今はやらないが昔から野人は逆立ちが大好物だった。

そこまで練習熱心ではなかったので、さすがに親指だけでは無理だが、指3本で逆立ちしたまま腕立て伏せや歩行はやっていた。

握力も80キロは超えていた。

指一本で出来ればビンに穴を開ける事が出来るし指二本で天井にぶらさがることも出来る。

そうなれば指は武器にもなる。

大学の時、モスクワ大学の総長夫妻が海洋学部を視察に来た。

その時の歓迎アトラクションで何かやれと言われ披露したのが「バック転からの貫き手」による板割りだった。

板が割れなければ指先が折れる。

だからそんな練習などした事はない。

それが最初にして最後で、夫妻は喜んでくれた。

ビールが入ったビンの細い部分だけを手刀で素っ飛ばすことも出来たが、飲み物に対する冒涜、だから野球で優勝した時のビールかけも感心しない。

嬉しいのはわかるがあまりにも大人気ない。

人の体は集中して鍛えればどこまででも進化する。

戦国時代の忍者達も生きてゆく為にそうした。

それが驚異の力を生み、時には「魔性の者」扱いもされただろう。

世が世なら野人もそうしたかも知れないが今は平和な世の中だ。

高校生の時、毎日二階の広いベランダで逆立ちばかりしていた。

世の中を逆さまに見て歩き回るのが好きだったのだ。

野球のベースを一周逆立ちで駆け抜けたこともある。

逆立ちレースは負けた事がなかった。

観光地に行けば銅像の上、ガソリンスタンドのタンクの上、防波堤など場所を選ばず結構「逆立ち魔」だったのだ。

mくらいの木の枝に足でコウモリのように長時間ぶら下がり、半回転して着地もしていた。

それくらいでは物足りなくなり、ベランダにブロック二個を縦に立て、それを掴んで逆立ち、掴んだままブロックを下駄みたいにして歩き、何度も腕立て伏せをしていた。

ブロックはグラグラして不安定で、下手すれば倒れて指を挟む、間一髪でかわすのはスリルがあった。

小さな頃から櫓を漕いでいたこともあるが、そんなことばかりして遊んでいたから腕力や握力が強くなったのだろう。

道行く人が感心して見物していると、「猿もおだてりゃ木に登る」ように調子にのってサービス曲芸もした。

野人の武術の得意技は、試合では出せないが「貫き手」だった。

それと握力と手首のスナップを活かした「手刀」だ。

裏拳、背刀、平拳、親指一本拳、目潰しなど自在だったが、すべて人体の急所を打つから試合に使えない反則技ばかりだ。

パンチ力やキック力も測定器で測ればずば抜けていたが、武術の真髄は五体の天性機能を自在に使いこなす事で今の競技のような単調な攻撃ではない。

そして1秒でも早く相手を倒す事。

五体ばかりでなく道具武具も同じ事。

便利でコンパクトならなおさらだ。

武術は相手を倒して生き残る「生存」の技、だから一番確実な生存法は「戦わないこと」なのだ。

肉体だけでなく武具を自在に使いこなし戦国時代を生きた忍者達もそれは心得ていただろう。

だから表には出ず、名誉も執着なく陰に生き陰に死んで行った。

まあ、野人の編み出した独特の武術は現代には無用の長物だったと言う事だ。

探究は物理学に通じて面白かったが。