玉遊びがタマらなく苦手な野人 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

子供の頃はよく球技で遊んだ。

野球も卓球もドッジボールも好きだった。

しかし思春期が過ぎて自我に目覚めた高校生頃からまったくボールを追わなくなった。

猫も大人になれば子供の時ほど玉を追わなくなるのと同じだ。

おかげで回りにはずんぶん迷惑をかけてしまった。

授業でサッカーをやればゴールキーパーからテコでも動かないが、蹴った球の飛距離は抜群だった。

ソフトボールでもバッティングで玉はひっぱたくが、守備についても来た玉は捕るが追いかけてまで捕球しない。

最後は一番玉の来ないライトに回され、微妙な当たりだと周囲が取りに来てくれた。

先生もあきらめていたようだ。

高一の時、36クラス全学年クラス対抗のスポーツ大会で水泳とバスケットに出た。

水泳はもちろん個人もクラス対抗リレーも勝ち、クラスは総合優勝した。

しかしバスケットでは笑いと野次が飛び交った。

玉を追わずゴールネットの下からテコでも動かなかったのだ。

そりゃあもう・・パスしてくれた玉を入れるだけだから楽だった。

球技と言うよりスポーツと言うものにまったく関心が湧かなかったのだ。

水泳も二年で先生に頭を丸めて頼まれて試合だけには出るようになったが、海で獲物を追うのと違ってプールは闘志が湧かない。

県大会で優勝した時に先生が言った。

「全く練習せずタバコばかり吸ってそれなら、努力せよとは言わんが、人並みに練習してタバコやめたらオリンピックだって夢じゃない」。

しかし野人はタバコやめてまでそのようなものには行きたくなかったし練習もプールも好きにはなれない。


賞状はただの紙切れで、メダルはおもちゃとして近所の子供にあげていたが、母はたくさんの賞状や新聞の切抜きをファイルしていた。

同じような思考の友人は一人もなく、皆真剣に水泳に取り組んでいた。

夏だけでなく周年一人裸で海に潜り、イシダイやハマチをモリで追いかける時だけ野獣のように燃えた。

大学でも空手部だったが練習はあまり行かず自由にさせてもらっていた。

腕力も腹筋も握力も跳躍も狂人・・いや強靭で、それ以上鍛えたいと言う気持ちにならなかった。

程々で良いのだ、化け物にはなりたくもない。

武道ではなく武術としてやっていたので制限だらけの試合も関心がなくてよくすっぽかした。

30歳でも国体予選を兼ねた三重県の実業団水泳大会で、50m自由形は大会新記録で優勝したが、高校以来プールなどで泳いだ事もなく練習はまったくやらなかった。

この時は格別の事情があって嫌でも出るしかなかった。

しかし勝ってやはり何の感激もなく、当たり前と思えばつまらないのだ。


ゴルフ場をいくつか持ち。ゴルフ用具も作っていたヤマハの社長に、器材一式自分のをやるからとゴルフを勧められたが断った。

野山を破壊したあんな広い場所に、あんなちっこい穴掘って、耳掻きみたいな棒で、あんなちっこい玉入れて遊ぶのは理解に苦しむ。

何一つ地球の為にはならないから他の動植物に開放したほうが世の為だ。

そう言うと社長は怒っていた。

猫ではないから生涯「玉」をとることなどない。

当時は深く考えなかったが、30歳過ぎてからスポーツに無関心な理由がわかった。


野人は幼い頃から自然に学び本能に忠実に生きて来た。

理性は研究や工夫に費やし、体力を消耗する運動は狩猟にしか向かわないようだ。

つまり「生きる為、食う為」に知恵と肉体を使う。

だから健康の為のストレッチやジョギングなどとは無縁で、子供のから汗をかくのが大嫌い、「いい汗かいた」などと思ったことなど一度もない。

汗をかくのは暑いからで、体温を下げようとする防衛本能だ。

無駄な体力の消耗は生命の危機という意識が何処かにあるのだろう。

日々のトレーニングはそれぞれの事情で自由にやればよい。

最近、筋肉の衰えを感じてきたので筋トレをやろうと思い始めた。

しかし、運動の習慣がないから腰が重い。

自力で生きて行く為にはやるしかないだろうなあ・・・・

ダンベルは、昨年からホコリをかぶって目の前に転がっている。

余計な事はやらないと言う考え方は身に染みているが、余計な事でなくなれば始動するだろう。

使うのは何年先になることか。