コロンブスの卵 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

コロンブスの卵と言う言葉は誰もが聞いたことがあるだろう。

別にコロンブスが、卵が大好物だったということではない。

一見、誰でも思いつき、誰にでも出来そうなことなのだが、何の情報もヒントもなければなかなか出来ないと言う話の例えだ。

コロンブスが新大陸を発見した時、そんな大きな大陸なら誰でも発見出来ると中傷された。

そこでコロンブスは、卵を取り出して、「この卵をテーブルに立ててよ」と言ったが誰も出来なかった。そして全員が「不可能だ」と言った。

そこでコロンブスは卵の尻を少し潰して立てて見せたのだ。

「なんだ、それなら誰でも出来る」と皆は言った。

コロンブスは、「西へ船を進めれば誰でもアメリカ大陸にぶつかる。しかしそれを最初に思いつき、実行した事が大切なのだ」と言った。これがコロンブスの卵の話だ。

誰もが気が付かないことを誰かが発見してそれが広まれば「常識」と言うものになる。

常識には落とし穴があり、それが間違っていたら皆間違う、

つまり親亀こけたら皆こけるのだ。

それは時代と共に移り変わる「常識」が証明している。

現代から見れば江戸時代の常識がバカみたいに思えるし、当時の人から見れば現代人は非常識極まりないという事になる。

歴史はその繰り返しで、「今」が最高の常識ではなく、100年もすれば非常識になってしまうことも多いのだ。

コロンブスの卵の例は、難しい科学理論ではなく、誰もがよく考えたらわかることの例え、ハイテクに対してローテク、子供でもわかりそうなことなのだ。

大人が考えて誰もわからなかったピラミッドの高さを測る方法をいとも簡単に思いついたのは「ガウス」と言う少年だ。後に著名な数学者となり、その名は磁力の単位にもなっている。

これと同じような話は身の回りにいくらでもある。

足元の視点がしっかりとしていれば、現在の「当たり前の常識」などいくらでも壊せる。

そちらへすんなりと移行、納得できないのは、長年の「思い込み」と言う分厚いフィルターが邪魔しているからだ。

それが小さな頃から身についてしまえばなおさらのことだ。

「変える」と言うことは相当なエネルギーも痛みも伴う。

しかしいつかは森羅万象の道理に行き着くはず。

政府、メディア、学者など威信を持つものすべてが変わらなければ皆で間違った方向へ突き進む事になる。

野人はその最たるものが農業だと思っている。

農業は食料問題、過疎化問題だけでなく、健康、環境問題の鍵を握っているのだ。

今、理に適った方向へ進まなければ取り返しのつかないことになるだろう。

コロンブスの卵のように誰もが出来ることなのだ。

自然をじっくり見つめれば生き物がどのように生きて、植物がどのように生きているのか子供でも気づくはず、

今の畑と比べてみると良い。そうすれば何処がおかしいのかわかるはずだ。

今の農業は自然界ではなく人間独特の理論でやっている。

それが正しいなら何の問題もないはずだ。

病気もせず、環境も汚れず、水不足にもならず過疎化も生じず高齢者も困ることはない。

昔ながらの田舎の自然な暮らしが営めるはずなのだ。

サハラ砂漠ならともかく、雨の多い日本で水不足で困っている植物など存在しない。