伊藤ハム 地下水汚染 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

40年間使い続けて問題のなかった伊藤ハムの工場の地下水がシアン化合物に汚染されていた。一度汚染された地下水は元には戻らない。何年も、場合によっては何十年もかけて地下へ浸透し、地下水脈として広範囲に渡っている。中国やアメリカ大陸と違って、雨量の多い日本では地下水の枯渇はまだ深刻ではないが、ここ数十年での汚染は深刻だ。それまでに飲めていた井戸水が飲料不適とされ、飲めなくなった井戸水が多いのだ。井戸水は縄文時代から上水道が整備されるまでの近代までの数千年間、人の暮らしには欠かせなかった命の水だ。野人の子供の頃、自宅の井戸水は最高の飲み物で、本当のミネラルウォーターだった。夏は冷たく、冬は温かく顔を洗うのも苦にならなかった。一般家庭の井戸は直掘り式でそう深くはないが、工場などで使う地下水は数十メートルから数百メートルの深さから大量に吸い上げる。そこまで汚染物質が行き渡ったと言う事なのだ。化学物質は消滅することなく、その地下水脈は放棄するしかない。水が使えなければ工場移転もあり得る。大量に水を使用する企業にとっては大変な事なのだ。企業もそうだが地下水は国民の財産だ。川の水のように海に流れて入れ替わるわけでもない。地表と違って処理すら出来ない負の遺産を後世に残す事になる。文明は人の役に立つ薬物だけでなく毒物も大量に生み出した。原子力にせよ「諸刃の剣」なのだ。水銀も砒素もウランも必要なのかもしれないが、使った後のことを考えれば困ることになる。大気や海に流れ出たら困るものばかりだ。大震災で原子力発電所が崩壊したらどうするつもりだろう。チェルノブイリの二の舞だ。添加物も農薬も以前は気軽に使っていたものが次々に禁止されている。野人は思うのだが、毒物劇物の類はいかなる理由があろうとも人は生み出すべきではない。他の方法を考えれば良いのだ。地球上に生きているのは人間ばかりではない。沈んだタンカーから原油が流れ出せばどうなるかは周知の事実だ。必要だからと長い間使用されてきた燃料は地球温暖化に拍車をかけ、フロンガスはオゾン層を破壊した。炭酸ガスもフロンも大量に大気中に廃棄されればどうなるかは予想出来ていたはずなのだ。入浴剤や洗剤や歯磨き粉なども同じ事なのだ。地球の人口が増え、それまでにたいして使っていなかった人達が経済発展と共に大量に使い始めたら海はどうなるのだろうか。人口が減りつつある日本の川も汚染は進んでも元には戻らず、昔のように泳げる河口は少ない。伊勢湾もそうだが、湾や沿岸は確実に滅びの方向へ向かっている。最大の原因が「家庭排水」なのだ。排水を浄化する為にエネルギーと税金を使うより、使わない方向を模索すべきだろう。誰にも簡単に出来ることだ。「今までこうしてきたから」「これが当たり前だ」と言うのは何の根拠もない。人間は快適さと引き換えに自然界の本質を見失っている。それは自分達の命を縮めるということなのだがなかなか気付かないようだ。