東シナ海流43 行方不明 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

海難現場は切石港と作地浜の中間で、上陸作戦が無事に終了して帰港中の出来事だった。

辺りは薄暗くなっていたが船で現場に直行した。貨物船からの無数のライトが海面を照らし、箱舟が転覆した周辺を捜索している。聞けば箱舟に十数人が乗って貨物船で引っ張って帰る途中に波にあおられて転覆したと言う。それを聞いて衝撃を受けた。ジープを降ろしてから先に帰る時にあれほど念を押したのだ「箱舟には乗るな」と。そして「貨物船で引っ張るな」と。自力でノロノロ走るか、波があれば貨物船に積んで帰る予定だった。野人の専攻は船舶設計だからわかるが、箱舟は走れるような船ではなく通船作業の荷渡し用なのだ。真四角だから波切りは悪く前から波をかぶる。船外機はついているがスピードはノロノロで、波のない短い距離で運搬機能を発揮する。まして水の抵抗の強いこれを牽引するなんて無謀なことだった。貨物船の船長にも、住友の今回の現場監督の飯伏さんにもしつこく伝えた、「乗って帰るな」と。飯伏さんは笑いながら何度も了承したのだ。「わかった」と。

時間に追われたハードな上陸作戦後は皆くたくただった。箱舟から縄梯子で貨物船に乗り移る時に、「こんな安定の良い船が転覆するはずがない、それに切石港までは近くだ。このまま引っ張って大丈夫」と皆が一斉に言い出し、飯伏さんも船長も了解したらしい。結局定員の12名が箱舟に残り、そのまま引かれて出航したと言う。怒りをぶつけようにも相手がいない。その肝心の飯伏さんが行方不明なのだ。坂井さんは6歳上だったが飯伏さんは一つ上の住友の若手社員で、作戦前夜まで一緒にマージャンをしていた。それまで何度もマージャンをしたが、年齢が近いこともあり一番話がはずむ友人だった。実家のある福岡で結婚式を挙げてすぐに島に戻ってきたが、新婚3ヶ月で1週間しか一緒には暮らしていなかった。それまで知る限りではこんなに心が綺麗で優しい男はいない。それくらい他の友人とは極端な差を感じた。色が白く長身、堀の深い端正な顔で目は誰よりも澄んでいた。長く剣道をやっていて身体は細身だが筋肉で引き締まっていた。女性が放っておくタイプではない。野人が何かやらかすたびに目を細め、「凄い、信じられない~」を連発、子供みたいにはしゃいでいた。その飯伏さんだけが行方不明になっていた。大量に水を飲んで意識のなかった一人は一命をとり止め、もう一人は遺体で発見された。波は高く潮流も速い。現場海域の水深は20メートル以上あった。昼間ならともかく潜水して探しようもない。作地浜からこの岬にかけての海域は大型サメの宝庫なのだ。3m以上のサメが背びれを出して海面を泳いでいることも多い。深夜までサーチライトで船から捜索したが見つからなかった。