「食の安全安心」「安価」志向が餓死者を増やす | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

世界には80億人分の食料があり、人口は60億、この中で不自由のない豊かな食生活を送っているのはわずか8%だ。この中に日本人は入っている。世界の食料の大半をこの8%の人がお金にものを言わせて独占、そして家庭でも飲食店でもスーパーでも工場でも連日のように「安全、安心」を名目にして余剰食品を廃棄している。そして世界では年間に900万人の人々が子供を中心に餓死している。この現状をどう考えるべきだろうか。自分達の暮らしばかりに目が向き、食品偽装や、食の安全ばかりがメディアに取り上げられる。それに感化された消費者は同調して生産者を非難する。そして生産事業者はますます過敏になり廃棄される食料が増えてゆく。さらに消費者が背景も考えず安い食品ばかりを求めれば、企業は当然、コストが低い海外に市場を求める。つまりお金にモノを言わせて貧しい人々の食料を奪っているのだ。野人は何度も東南アジアへ行っているが、安かった食品が年々高騰して行く。8%の人達が価格を吊り上げれば、彼らの口には入らなくなるのは当然の事だ。自由経済の世の中だからそれが悪いとは言わないが、結果そうなることを知るべきだろう。そしてこれからどうして行けば良いのか考えるのが人間ではないだろうか。彼らは同じ地球に暮らす同じ人間なのだ。日本人が「当然」だと思っている道理は、野人にとってはエゴに思える。もっと食の本質を学び、この国の、世界の未来を考えた判断が必要なのではないかと思う。人は人情も慈悲も持っている。それは世界の人も同じだ。貧しくても分け与え、助け合うのが正常な人の心。自分達の過剰な食の安全への思いと、背景を考えない安価重視の消費は世界の餓死者を増やす事に気付くべきだろう。このような状況が続けば日本人はただの亡者になってしまう。お金や物資の国際的援助が彼らを救うのではなく、自分達の食生活の足元を見直すことが彼らを救う。豊かな食を求めるのはかまわない。それを自分達の国で賄えるようにするのが理想的だ。国民がそのように動かなければ政治も動かない。政治家は国民の代表なのだ。どうやって食料自給率を高めるかは国民全員の課題なのだ。どうしても手に入らないものだけを海外に求めれば済む事だ。