国内で一番旨い栗は「シバグリ」 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

栗といえば昔と違って今は立派なサイズの栗が出回っている。丹波の栗はブランドだ。

確かに立派になって食べやすいのは野菜と同じだ。人の技術の結晶とも言えるのだが、果たしてそれが本当に旨いのだろうか。その栗しか知らなければ栗好きの人にはたまらないご馳走でシーズンが待ち遠しい事だろう。しかし野人は立派な栗はあまり食べない。本来の栗の味がしないからだ。本来の栗とは原種である山の「シバグリ」のことだ。シバグリのフアンは誰もがシバグリを栗の王者に挙げる。シバグリは小粒で天津甘栗くらいのサイズだ。しかしこのシバグリの味は濃厚で甘い。生でかじってもたまらなく旨い。だから小さくて食べるのが面倒でもわざわざ山まで採りに行くのだ。売っていないのだから仕方ない。人類の狩猟採取の何万年の時代の中でもシバグリは木の実の中では最高のご馳走だったのだろう。それは人間だけでなく熊や猪、狸や狐にリス、全ての哺乳類を支えてきたのだ。人の体の中にもシバグリを何万年も主食並みに大切にしてきた遺伝子は残っているはず。だからシバグリを食べると自然に体が喜ぶのだ。木の実は栄養の王様だけでなく、生命力の源が全て凝縮されている。国民全体が病んで健康を求める時代、新薬やサプリメントの開発が盛んだが、製造メーカーの謳い文句に振り回されるよりももっと足元を見直すべきだろう。人類が何を食べて生き残ってきたかじっくりと調べれば誰にでもわかることだ。先へ進むことばかりが文明ではない。文明には失敗、軌道修正が山ほどあるのだ。わけのわからない体の異変を正常にするには、自然界から生まれた「完全食品」が一番だ。そうすれば体は正常に機能するようになる。今の食生活の中でそんな食品はどれくらいあるだろうか。海藻、魚介以外にはなかなか思いつかないはずだ。5大重要食品として後の三つは大豆に穀物に野菜だが完全とは言い難いものだ。しかも加工食品の大半は後の三つが占めているのだ。避けて通れるはずもないが、意識して完全が付く「陸の食品」をたまには摂取するべきだろう。一番良いのは何処にでもある「山菜」だが、そればかりでは飽きが来る。野山は人間が必要とする「完全健康食品」の宝庫なのだ。その気になれば学ぶのも手に入れるのも「タダ」だ。しかもレクレーションを兼ねて楽しく遊べる。シバグリは山道の淵にもどこにでもある。9月の山を歩けば栗に当たると言うくらいたくさんあるのだ。アサリを掘って、魚を釣って、木の実を拾う、その感覚、感動は本能を刺激して体に鋭気を蘇らせる。願ったり叶ったりだ。

「少年よ 青年よ 中年よ ジジババよ 木の実を抱け!!」