食の安全安心は高くつく | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

食の安全安心に注目が集まり、「安全で安心な国産の食べものをより安く」求めようとしている。当たり前のような言葉だが、よく考えると何とも都合の良い言葉で、それに振り回される生産者はたまったものではない、言い換えれば人間のエゴだと報道は締めくくっていた。確かに安全安心と低価格は矛盾している。昆布にしろ原木シイタケにしろ、手間隙かけた国産物は、消費者が求めた低価格の中国産に押されて衰退、ここ数年で激減した。今度は中国産が敬遠され、注文が殺到し生産が追いつかないのだ。喜んでいるのではなく迷惑しているらしい。食の認識が乏しく、自己の判断を持たずメディアに振り回される消費者に閉口しているのだろう。一度失ったものはなかなか元には戻らない。国内の農業や漁業の衰退は消費者が招いたものだ。肉もうなぎも同じ事で「国内物」と言う言葉に弱い、だから詐欺が横行する。横行するのは、消費者は絶対に判別できるはずがないと自信を持っているからだ。つまり消費者は「味はわからない」とバカにされているのだ。「消費者の信頼を裏切った」と声を大にして社会的制裁を加えるより、そこのところを見直したほうが良い。アジア諸国から入ってくるウナギも野菜も他の食品も、日本人の技術指導で作られたもので大差ない。日常の服や電化製品などに文句はつけているだろうか。人件費が安いから価格も安く、納得して購入しているはず。どのように作られたかが問題であり、国はまったく関係がない。日本でもこれだけの詐欺や手抜きが横行しているのだ。何年も手間がかかる原木シイタケよりオガ菌栽培のほうが簡単だ。それを中国でやればさらに安くなる。原木のほうが価格は高いが味も香りも比べ物にならないくらい良い。消費者が安い菌床シイタケを選べば原木は衰退する。さらに安い中国産を選べば国内のシイタケ栽培は壊滅するだろう。ウナギも国内も中国も養殖の仕方は同じだから味が変わるはずもない。水質やエサの加減で微妙には違うが、それは国とは関係がない。食の安全とは国やブランド名や生産者の顔ではなく、味そのものであり、薬物などの使用は「生産者個人」のモラルだ。食の本質と本来の味がわからなければ判断は出来ない。消費者の信頼を裏切ったと言うが、消費者が生産者の信頼を裏切っているとは考えないのだろうか。どちらも同じ重みがあると思うのだが。食の安全安心を求めるなら、ブランドに群がるよりも、もっと食の本質を勉強して自分達の力で国内産業を育てたほうが良い。消費者と生産者が互いに学びながら食文化を築き上げていれば、一次産業の極端な衰退、食料自給率の低下などはなかっただろう。子供に農業を継がせたくないという生産者の言葉が印象的だった。