気の科学6 妖精とは何か | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

妖精と言えば子供の頃の憧れで、皆が信じていた。今も相変わらずファンタジーな小説や映画には人気がある。半信半疑でありながら、出来るものなら妖精に逢いたいと思っている大人も多いのではなかろうか。世界のドキュメンタリー専門のディスカバリーチャンネルでやっていたが、火山の国アイスランドでは国民の半分が妖精の存在を信じているという。中には悪戯好きの妖精もいるようだ。似たようなもので、世界中で、大地には様々な「精」が宿ると言い伝えられてきた。アイヌにインディアン、インディオなどの世界でも、神格され、崇められて大切にされているものも多い。一概に、そんなものいるはずがない、と断言する根拠は何処にもないのだ。常識や、自分が感じた事がないからと言う理由は森羅万象とは何ら関係がない。生き物全てに肉体とは別の「心」があるなら、至るところに妖精と名の付くものが存在してもおかしくはない。野人も色々体験はあるが、ここでは詳しくは書かない。少なくとも「いるかいないか」などで議論する気もない。信じるか信じないかは本人の心だけで良いことだ。現にアイスランドでも半分の国民は信じていないのだ。15年ほど前になるが、近所に住む友人の漁師から家に来てくれと電話があった。小学4年生の娘の様子がおかしいと言うのだ。昔から霊や円盤など未知の世界の相談は多かった。新興宗教の経典を持ち込み、判断してくれと言うのもあった。詳しい事情はわからないが、とにかく夕方漁師の家を訪問した。父親に呼ばれた女の子は二階から降りてきたが、野人が来る事は知らされていなかったにも関わらず知っていたのだ。「おじちゃんが今日私に会いに来ることがわかった」と言うのだ。そこで父親が説明し始めた。相談とはそのことだった。数年前から妙な行動が目に付き、妙な模様の図を描いたり、両親や他の人を色で見分けるという。「お母さんは胸が赤でここが黄色とか、お父さんは青が中心で・・」とか言い出したらしい。学校からの帰り道、防波堤でじっと座っている亡くなった画家や、いつも同じ場所に立っている兵隊が見えて、怖くてたまらないと言うことだった。父親が「このおじちゃんに例の蝶々の話をしろ」と言うと。「蝶じゃないトンボよ」と答えた。夜毎、窓から30cmくらいのトンボの羽を持った女の子が遊びに来るらしいのだ。たまに白いキツネも来るらしい。彼女も体を抜け出し、一緒に遊ぶらしいが二時間が限界で、下で横たわっている自分の体の心臓の鼓動が小さくなるので、怖くて慌てて体に戻ると言う。学校ではこんな話も出来ず、一人だけ同じ事が出来る女の子とだけ会話するらしい。その子は何時間でも可能だと言う。「何故来る事がわかった?」と聞くと、「金色の光が自分に会いに近づいて来るのを感じた」と言う。彼女は金色だけはまだ見たことがないらしく、それではっきりわかったと言った。「この体に他に何が見える?」と聞くと、「右胸のほとんどが金色で、左肩から斜めに空に向かって青い光が信号みたいに数秒間隔で出ている・・」と答えた。

「風呂が極端に長くて、睡眠時間が極端に短くないか?」と親父に聞くと、やはりそうだった。睡眠は平均二時間、風呂は三時間以上入るらしい。だいたいわかったので、「何も心配することはない、放っておけば良い」と言って詳しく説明してあげた。彼女は電子エネルギーを感知する力が強く、妖精も霊も見えると言うよりわかるのだ。風呂が長いのは「水」を媒体にして気のエネルギーを補充、だから睡眠は短くて済む。体の細胞は寝ることはなく、意識体が休養を必要とするからそれで十分休養は取れているのだ。光もまた電子エネルギーの形で、俗に言うオーラと言うものだ。そこまでの力があれば意識体の肉体からの離脱も自在で、俗に言う「幽体離脱」というものだ。そのうちに人の体の何処の気の流れの異常があるかわかるようになる。言うなら「ミス漢方薬」になれると冗談を言った。

妖精とは、元は肉体を持った人の心ではない。森羅万象が生み出した電子意識の産物で、森や木や色んなところで自然に生まれるものだ。人の言葉は持たないが意思は通じる。あれから野人が引っ越して一度も会ってはいないが、そろそろ会いに行って見るか・・