東シナ海流22 武術鍛錬1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

諏訪瀬島スタッフに新メンバーが来た、翌月屋久島に転勤する坂内さんの後任でマリン担当の山本さんだ。しばらくは引き継ぎ期間になる。

彼はダイバーで、以前にもこの島で海の開発に携わったこともあり、8歳年上で大先輩に当たる。

ただ、釣りのことはさっぱりわからないようだ。


山本さんは大酒飲みで吉本興業みたいに面白く明るい。

一日一本のペースで焼酎ではなくカティーサークを飲み干していた。

陽気な反面過激な面もありはかり知れない男だ。


ある日、「お主、本当に武術の達人か?」と言い出した。

「本当ならこれから毎朝ラジオ体操の後に全員で武術鍛錬をやるが、その師範をやってくれ」と言う。

「その前にテストじゃ、ワイの包丁の一撃を避けきれるか」と冗談とも思えない事を切り出した。しかも食後に酒を飲んでいる。


達人でも師範でもないし返事に困っていたら台所で本当に刺身包丁を持ち出して来た。

そして何処で覚えたのか「怪しげな剣の舞」を踊り出したのだ。

そして「実戦的武術でないと役には立たん、本気で刺しに行くから避けてみよ」と腰を据えて包丁を構えた。

彼の目は明らかに据わっていた。


喧嘩慣れしていることがわかり、冗談ではないと判断して立ち上がり受けて立った。

所長や皆はあわてて止めに入ったが、後には引けそうもない。

山本さんは「受けるならお前の腕を信じて本気で行くし、自信ないなら、やめるなら今やで、どうや?」と構えたまま言った。

言うことには道理があり、無謀な男と思っていたのだが逆に彼を見直した。


フロアーに立ち、「何処からでもいいです」と言うと、「構えはいいのか?」と言う。

「試合に構えはあるけど、実戦に構えなどないですよ」と答えた。

空気が緊迫、回りに6人いたが誰も一言も発しない。止めても無駄だと感じたのだろう。

二人ともしばらく動かなかった。間合いは一歩半だ。


声もなく山本さんが思い切り突っ込んで来た。


柳刃が腹に刺さる瞬間、左手を彼の肘に添えてコースを逸らし、右の手刀を、彼の手首に打ち込み包丁を叩き落した。


右手をそのまま親指の方から山本さんの顔面に打ち込んだ。

手刀の逆打ち「背刀」と言う技だ。

背刀は山本さんの鼻の寸前で止まった。


彼は両手で包丁を握り、腰を据えて身体ごと来たから、包丁や腕ではコースは逸れない。

重心が安定したこのような場合は肘なのだ。

だから最初から肘を狙う。そうすれば彼の身体は回転する。

包丁が自分の身体から逸れるだけ回れば事は足りる。


最初は避けるだけで反撃するつもりはなかったが、彼の強烈な「殺気」を感じて身体が反応してしまった。

避けるだけでは次の攻撃を受けるかもしれないのだ。

包丁も叩き落とした。

しかし本当に顔面に打ち込まなくて良かった・・・打ち込めば彼の鼻は折れていた。


「山本さん殺気は駄目ですよ、本能が反応するから」、そう言うと彼は、元の顔に戻って陽気に笑いながら・・

「ワリイワリイ~!受けてくれる以上、お前の腕を信頼してつい本気になってしもうた」。

「しかし本当にブスリといかんで良かったなあ~」と他人事みたいに言うのだ。


一番喜んだのは見物人だ。

「ホッとした」と言いながらも「映画よりも迫力があったなあ!」と興奮気味だった。

それからいつものように山本さんはウイスキーをストレートで水のようにガバガバと。

こちらのコップにもつごうとして「いやいや、お前はアカン、噂は聞いている」とビンを引っ込めた。

それから山本さんはふざけて「辞令、明朝より武術師範を命ずる」と公家さんのような間延びした声で言った。

やがて山本さんを中心にドンチャン騒ぎになった。今度は沖縄の踊りだ。


そして翌朝・・・滑走路で、所長を除く全員でラジオ体操から鍛錬は始まった。

既に、鹿児島事業所から木刀や棒やヌンチャクなど、物騒な武器が届いていた。

山本さんが発注していたのだ。


思わず・・笑ってしまった。

こんなものは役には立たない、生兵法は怪我の元だ。