東シナ海流14 中島みゆきさんのギター | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

伊勢海老の刺身の次は大物カンパチの解体だ。

まな板に乗らないので玄関を水で洗いそこで解体、中島みゆきさんはすぐ横の窓から見ていた。

年上なのに「お兄さん、上手ねえ~」と言うから、大皿に山盛りのカンパチの刺身を「ホイお姉さん!テーブルに」と運んでもらった。

その日の夕食はクラブハウス管理人の奥さんが作った料理と、メインは何と言ってもカンパチと伊勢海老の刺身、それにカンパチのアラ炊きと伊勢海老の味噌汁だった。

すぐ左隣には中島さん、正面はじいさん、その隣に谷山浩子さんが座っていた。

お腹がいっぱいになると、またじいさんのお話だ。

中島さんと谷山さんは真剣な顔でうなずいていたがこちらは居眠り。

終わってからじいさんが中島さんに言った。

「この男達はこんな島でロクに文明にも音楽にも触れていないから何か聞かせてあげて欲しい」と。

中島さんはニッコリと笑い部屋からギターを持って来た。

見て驚いたのは高価なピカピカのギターではなくて、使い古した普通のギターだった。

親しみが持てる様な素晴らしいギターだ。

元のイスに座り弾きはじめたが、隣だから1mも離れていない。

耳元で聞くギターの音色も中島さんの声も綺麗だった。

3曲くらいかなと思っていたら中島さんは1時間以上延々と歌い続けた。

数日後の鹿児島のコンサートのリハーサルのつもりで歌ったのだ。

朝4時に起きて船を降ろし道具の準備、5時から終日船釣りのガイドに温泉の磯渡し、終わったと思えば夕方はじいさんから伊勢海老獲りに潜らされ、料理長まで勤めた、眠くないはずがない。

何曲目からか、中島さんの歌が子守唄に聞こえてきてうつらうつらし始めた。

中島さんが隣で「マリコの部屋で~!ジャ~ン」とやれば目が覚める。

またうつらうつらすると、今度は研ナオコのラララで背筋がピン!それを目の前で見ていたじいさんがついに怒り出した。

バカモン~!せっかく中島みゆきがすぐ側で歌っているのに寝る奴があるか!」

「そんな男は日本中捜してもいない!

中島さんは大声で笑い始めた。わらい・・止まらず 笑い上戸

谷山さんや仲間達は可笑しさを噛み殺していた。

それからは真面目に・・最後まで歌を聴いていた。

学生の時によく聞いた中島さんの「別れ歌」は本当に悲しくて泣けてくる。ねむいけど・・

終わるとじいさんがまた言った。

中島さんからギターを習いなさい」 いますぐ・・

社長室の面接で弾いたのをしっかりと覚えていた。

それから1時間くらい中島さんに手とり耳とりギターを習った。

何もない島で夜は退屈だが、クラブハウスのロビーは広く、ビリャードもあった。

就寝の時間までは皆でトランプやビリャードに耽っていたが、じいさんは年寄りだから早く寝てしまった。

「ポプコンに応募しなさい、用紙は送らせるから」と、意味不明の言葉を残して・・

「ポプコンって・・何だ? ポップコーンが当たるのか?」と皆に聞くとゲタゲタ笑われてしまった。

じいさんは理事長で審査委員長らしいが、エコひいきして賞金くれるようなタマではない。

後日、本当に応募用紙が送られてきたのだが、適当に2曲創り、譜面も一応書いたが結局送らず放っておいた。おたまじゃくしくらい ふめんもなく書ける

どうせじいさんは忘れているだろう。

この時、シンガーソングライターへの道は閉ざされた。


翌朝、お説教ではないが、じいさんからまたブツブツ言われた。

実にくだらないことだが、夜中にジンマシンに悩まされていたのだ。

「お前が釣ったカンパチを食べてジンマシンが出たんだ」と子供みたいな事を言う。

誰も何ともなくてじいさん一人にジンマシンが出ていた。

それに釣り人とジンマシンは何の関係もなく理もない。

戯言は聞く耳持たない、いつものように横を向いて知らんぷりしていた。みゆき また・・笑い止まらず

釣れないと言って怒り、海老食わせろと我儘を言って潜らせた「バチ」が当たったのだ。

滞在中に中島さんと谷山さんをリーフへ連れて行き、夜光貝や珊瑚を採ってあげる約束だったが、急用で午後から帰る事になった。

じいさんの帰り際の置き土産は、「夜光貝と珊瑚を中島さんと谷山さんの自宅へ送ってあげなさい」だった。

一ヵ月後にじいさんの遺言、いや・・言いつけ通り、夜光貝と珊瑚を綺麗に仕上げて北海道と名古屋の彼女達の自宅へ送った。