温故知新 学びの哲学 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

滅びの美学と言う言葉があるが、自分には「学びの美学、哲学」が昔からあった。

昔と言うのは高校生の時からで、友人達は素直に先生の言うことは聞いていた。

進学コースの目的は大学へ行く事、だから受験の為の勉強だ。

良い大学に入り、良い会社へ入る、そのようなレールが世間の常識になっていた。

今もそうだと思うが、当時の野人にまったくそんな気持ちはなかった。

人生の目的は大学でも会社でもなく、人としてどのような生き方をしたいのか、何をやりたいのかで学ぶ事、職業などが見えてくる。

進学はするが高校は受験の予備校ではなく社会で生きてゆくのに必要な事を学びたかった。

国語は何の為に、数学は、物理は、社会は・・それぞれに明確な目的を持っていたが、授業の内容はそうではなかった。

仕方ないから自分の判断で「ふるい」にかけた。

つまり必要ではない余計なものは「削除」してそれを徹底した。

国語の目的は「コミュニケーション」、社会は「人間社会の仕組み」、生物、地学は「仕組みと自然界の知識」、物理、化学は「仕組みと知恵と文明」、数学は「物事の考え方と文明」、そのように理解していた。

教科書があるからノートは必要なかった。

数学は考え方を学ぶものだからノートはいらない、集中して聞くだけでわからないことは聞けば良い。

日本史や世界史は年代や人名地名がテストの主流だが、そのようなものは興味もなかったから覚えない。必要なら本に書いてあるから見ればわかるし辞書のようなものだ。

大切な事は温故知新、歴史から学び過ちを繰り返さない事。

戦いの歴史とその因果関係だけ勉強したからテストはいつも50点だった。

目的がはっきりしないものやピントがズレていると判断したものは一切やらない。

魚でも突いていたほうが良かったから先生にとっては「やり辛い」生徒だった。

英語はまったくやらなかった。

高一からはあの分厚い「辞書」は一度も開かなかったし学校にも持って行かない。

予習復習もまったくやらないので、よく担任の英語の先生に説教されていた。

何でやらないのかと言われ・・


「中学三年間、授業で毎日やらされたが喋れる人を知らない。それだけやって喋れない英語は英語ではなく訳のわからないもの。もう一つの理由は生きて行くのに必要ではない。将来必要になった時にやれば良いから今はいらない」そう答えた。


先生としては何とも困る答えだっただろう、少しは申し訳ないと思っている。

3年の卒業試験で赤点は絶対卒業させないと言われてあせった、それも困る。それまでの3年間30点以上は一度もなかったのだ。

受験ではなく「卒業」と言う目的のために2ヶ月間「豆単」を毎日暗記した。

高校生活唯一の勉強らしきものだったが辛かった。

馬鹿馬鹿しいと思いながら海に潜りにも行かず、夜も机に向かい頑張った。

結果は順位を張り出されるくらいの89点。

先生から、6年間の総決算でそんな馬鹿なことは考えられない、カンニングでは?と言われた。

8割は長文読解の問題で文法も知らないのだからそう言われても仕方ない。

先生にしてみれば理解できないだろうが「物理的」には簡単な事だった。

ヤマ当てではなく数学物理の考え方がさっそく役に立った第一号だった。

余談になるが、それ以来野人はあらゆるギャンブルにおいて勝ち越した。

それから受験まで一切英語はやらなかった。

会社に入り外国の人と話す機会が多くなってから必要だからやった、何とか意思の疎通が出来る程度に、それで十分だ。

「学校の勉強はあまり記憶に残っていない、社会とは別物だ」と思っている人は社会に出てから何も役に立ってはいないと思うが、自分にとっては随分役に立った。

特に数学の考え方や物理、方程式や微分積分、三角関数などは技術研究ではなく一般の仕事で使いまくった。「サインコサイン」ではなくてその思考手段が役に立つのだ。

役に立つ度に先人の知恵と文明に感謝してきた。そしてさらに自分なりに思考が進化してゆく。

だからこそ今の自分があると思っている。

一般常識から文明は生まれない。

電気もテレビも飛行機も生まれなかっただろう。

人から非常識、馬鹿呼ばわりされても、1%の可能性を信じて努力してきた人間がいたからこそ今のこのような暮らしがある。

恩恵を受ける人間よりも、人に恩恵をもたらすような人間になりたいと思っている。

普通の暮らしもままならず飢餓に苦しむ人は世界には大勢いる。

その為に知恵を磨き、彼らの役に立てれば本望だ。