「テロ等準備罪(≠共謀罪)」の必要性と、なおざりにされる「テロ」の本質的問題 | 武藤貴也オフィシャルブログ「私には、守りたい日本がある。」Powered by Ameba

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国家主権、国家の尊厳と誇りを取り戻す挑戦!品格と優しさ、初志貫徹の気概を持って(滋賀四区衆議院議員武藤貴也のブログ)

 今年6月15日、「テロ等準備罪」を新たに設ける「改正組織犯罪処罰法」が成立した。この法律の適用犯罪は277、対象をテロ組織や暴力団などの「組織的犯罪集団」と規定することなどが盛り込まれたわけだが、国会に法案が提出された当初、この法律は「内心の自由を侵す」「監視社会になる」といった扇動を背景に、国論を二分するような激論の対象となった。

 政治を巡る議論は次々と移り変わり、この法律も成立した今やもうメディアでは殆ど議論されなくなったが、私が様々なところで実感するのは、この法律に対する不安は国民の中から解消されたとは言い難く、選挙区内で誤解に基づく批判を聞くことも多い。

 そこで、過日8月10日、ようやく日本でも法律制定の契機となった「国際組織犯罪防止条約」の効力発生となったこともあり、テーマが難しく少し長くなるが、ここで再度「改正組織犯罪処罰法」の必要性を再確認した上で、日本では未だ殆ど論じられない「テロ」の本質的問題について記述しておきたい。

 

 

最後まで「共謀罪」と称した野党やメディア等による「ミスリード」

 まず、なぜこの法律が国論を二分するような議論の対象になったのかという点だが、これは一部メディアや野党などによる「ミスリード」が主因だと私は考えている。そのことは、例えば当該法律が成立した6月16日の翌日の新聞の見出しを見たら分かり易いだろう。

 その日、読売・産経新聞は「テロ準備罪成立」と書いた一方、朝日・毎日・東京新聞は「共謀罪成立」と書いた。実はここに、国民を分断するように一部メディアがミスリードした様が見て取れる。そもそも成立したのは、「共謀罪」を処罰する法律ではないからだ。「共謀罪」と「テロ等準備罪」では、成立する要件が大きく異なるのである。

 具体的に言えば、「共謀罪」というのが「ある特定の犯罪を行うことを話し合い、具体的・現実的に合意(共謀)することによって成立する犯罪」であるのに対し、今回成立した「テロ等準備罪」は、①「組織的犯罪集団」(継続的に存在し、指揮命令に基づきあらかじめ定められた任務の分担に従って行動する人の集まり)の関与、②重大な犯罪(死刑、無期又は長期4年以上の懲役又は禁錮に当たる重大な犯罪)の「計画」、③計画した犯罪の「実行準備行為」(犯罪に使用する武器や薬品の購入、資金の調達、犯行現場の下見など)という3つの厳格な要件を設けており、「テロ等準備罪」は「内心」ではなく「行為」を処罰するものである。従って、「テロ等準備罪」は、「共謀罪」とは大きく異なると言える。

 このように要件が異なるにもかかわらず、一部の大手新聞や地方紙は、最後まで「共謀罪成立」と報じた。私はそこに中立・公正な報道というよりも、国民の不安を煽り、法案成立を阻止しようとした意図が見えると思う。

 そしてその「ミスリード」は、マッチポンプのように野党議員や一部の学者、そして一部メディアがまるで連携しているかのような形で拡大されていった。例えば、野党議員が国会で「実行準備行為」について、「花見と下見は区別がつかない」、「トンカチを買ったら武器の購入と見なされる」などという、現実的に言えばそれだけでは「テロ等準備罪」に該当するとは到底言えない極端な事例を持ち出して法案を批判し、刑事手続法は変わっておらず捜査手法も変わらないにもかかわらず、「法案が成立したら監視社会になる」と一方的に主張し、そしてそれを再度一部学者や団体が様々な場所で発言、補強し、更に一部大手メディアがそうした発言を繰り返し報じ拡大するといった状況があった。もちろんその順序は逆も然りで、マスコミで報じられたことを基に野党議員が国会で追求する、そしてまたその様子をメディアが連日報じるという構図も何度も何度も繰り返された。

 しかし、繰り返しになるが、先に述べた「テロ等準備罪」の3要件を見れば分かるように、野党や一部メディアが3要件に当てはまらない極端な事例を勝手且つ強引に当てはめ、「共謀罪によって普通の一般国民が裁かれる」「監視社会になる」と主張し、それを繰り返して拡大していくことによって国民を「ミスリード」していったことは明白である。

 

 

「共謀罪」創設の必要性が高まった背景

 そもそも「共謀罪」創設の必要性が主張されるようになった背景には、2000年12月国連で採択された「国際組織犯罪防止条約」(TOC条約、パレルモ条約)の存在がある。この条約は、国連加盟国が協力して越境する組織犯罪を防止・処罰するためにつくられ、既に国連加盟国193ヵ国の内、187の国や地域によって締結されている。未締結なのはイラン、ソマリア、南スーダン、日本などわずか11ヶ国である。「テロ国家」と呼ばれ、国際金融犯罪を国家として行っている疑いのある北朝鮮ですら加盟している。

 そして、後に詳しく述べるが、この条約はその5条第1項により「共謀罪」又は「参加罪」の少なくとも一方を創設することを義務付けている(ちなみに、第5条1項(a)(i)は「国内法上求められるときは…当該合意の内容を推進するための行為を伴うこと」として、日本が要件を厳しくしたことについてもその選択を認めている)。

 そこで、日本はこれまで、2003年当該条約を締結するための国会承認を受け、その国内担保法となる「共謀罪」を盛り込んだ法案を何度も国会に提出してきた。しかし周知の通り、議論が終結せずに3度も廃案になった。つまり、条約締結のための担保法が国内において整備できず、主要7ヵ国(G7)で国際組織犯罪の取締をリードしていかなければならない立場にもかかわらず、条約を批准できずにきたというのが事実である。

 「テロリスト」が金融犯罪によって資金を集め「テロ行為」を行っていることはこれまで何度も明らかにされてきたが、今年5月には、隣国である北朝鮮も、世界30ヵ国以上の銀行や金融機関などを狙ってサイバー攻撃を仕掛け、多額の現金を盗んだ可能性が高いことが報じられた。もちろん北朝鮮がそうして得た資金を使用してミサイル開発を続けたり、拉致被害者などを生んだ対外工作の資金として使用したりしてきた可能性があることは言うまでもない。

 そのような国際環境の中にあって、依然として日本が条約に加盟しないことを受け、国内では殆ど報じられなかったが、今から3年前の2014年6月、マネーロンダリングやテロ資金供与対策の国際協力を推進する政府間会合である金融活動作業部会(Financial Action Task Force: FATF)から、日本は北朝鮮とともに非難の対象とされた。FATFは各国が遵守すべき国際基準(FATF勧告)を策定し、遵守状況を監視するため相互審査を実施しているが、日本の法整備が遅れていることについて、組織犯罪防止条約の締結に必要な国内担保法の整備について早急な改善が必要であるとする声明を発表したのである。

 つまり今回の「共謀罪」創設の議論は、あくまでも国際的な観点から対応が迫られているために始められたというのが事実である。

 

 

京都大学の高山加奈子教授に反論する

 にもかかわらず、そうした国際的な経緯や状況を殆ど紹介せずに、「共謀罪」が国内的な都合やイデオロギー対立、政治的な抗争でのみ議論されてきたのは非常に残念なことである。

 そしてその矮小化された国内的議論において「反対派」の象徴として登場したのが京都大学の高山加奈子教授である。高山教授は「共謀罪」に反対する運動の先頭に立ち、国会周辺でもマイクを握り反対演説しただけでなく、国会内でも参考人として「共謀罪」創設反対の論陣を張った。

 しかし、結論から言って、高山教授の主張は全く国際的な現実や国際法・条約を無視するものであったと断じざるを得ない。高山教授はもともと刑事法学の専門家であり、国際政治や国際法、安全保障分野に精通しておられないということもあるだろうが、京都大学教授という重みのある立場からの主張は余りにも影響が大きく、多くの国民も高山教授の発言によりこの法律について誤解してしまったと考えられるので、ここでは教授の見解の主だったものについて反論しておきたい。

 一つ目は、そもそも「国際組織犯罪防止条約」は「テロ対策」ではなく「マフィア対策」であるとする見解である。高山教授の法案に対する様々な批判はこの見解に基づくが、単刀直入に言って、教授のこの見解は明確な間違いである。

 例えば、国連総会決議55/25(2000年)では「国連総会は…国際組織犯罪防止条約が…拡大している国際的な組織犯罪とテロリストによる犯罪とのつながりとの戦いのための有効な手段であるとともに国際協力のために必要な法的枠組みとなることを強く確信し…全ての国に対し、…国際組織犯罪とテロ活動のつながりを認識すること及び国際組織犯罪防止条約をその規定に従ってあらゆる形態の犯罪活動との戦いに適用することを要請し…」と記されているし、国連安保理決議第2195号(2014年)においても「国連安全保障理事会は…国際組織犯罪から資金を得ているテロ組織が、国家に対し、特にその安全、安定、統治並びに社会及び経済の発展を妨げることにつながり得ることを深刻に憂慮し…加盟国に対し…国際組織犯罪防止条約及びその付属議定書、国連腐敗防止条約並びにテロ防止関連条約及び議定書等といった関連する国際約束を優先的に批准し、加入し、実施することを要請し…」と記されている。また加えて言えば、国連事務総長報告(安保理決議第2195に基づき2015年5月作成)では、「テロ組織と国際組織犯罪集団は、理論上は区別されるが、その区別は実際には必ずしも明確ではない。」としている(「テロ組織」と「国際組織犯罪集団」が理論上分けられた理由については後述する)。つまり「国際組織犯罪防止条約」は「テロ対策」の条約として国際社会に認識されているというのが紛れもない事実である。

 しかしながら、高山教授の「国際組織犯罪防止条約はマフィア対策の条約である」という誤った主張は、例えばジャーナリストの田原総一朗氏や、首都大学東京教授の木村草太氏など多くの識者により、確認されることなくテレビ等で繰り返し主張され拡散された挙句、国民の間でも広く誤解されるに至った。

 二つ目は、当該条約への加盟は、2020年東京五輪開催のためというのは「まやかし」や「嘘」であるという見解である。これも、一つ目の内容同様に誤った認識であると断じざるを得ない。なぜならば、先に述べたように、当該条約の加盟は紛れもなく「テロ対策」を主たる目的としたものであり、条約に加盟することによって、187ヵ国の締約国と「国際組織犯罪集団(≒テロ組織)」の取り締まりについて、様々な分野で協力することが可能になったからである。これは、より安全に東京五輪を開催するにあたり、プラスにこそなれ決してマイナスになることはない。従って、例え「五輪の為」というのが「後付けの理由」であるとしても、それをもって批判することは「批判のための批判」に過ぎなく、国民のための批判とは言えない。

 三つ目は、公権力を私物化する犯罪類型が対象犯罪からかなり除かれたという指摘である。具体的に、高山加奈子教授は、「特別公務員職権乱用罪、公職選挙法違反の罪、政治資金規正法違反の罪、政党助成法違反の罪、地方自治法上の署名運動者等に対する妨害罪、最高裁判所裁判官国民審査違法の各種の妨害罪など、公権力を私物化する犯罪類型が対象犯罪からかなり除かれた」として今回の「改正組織犯罪処罰法」を批判している。

 しかし、先に述べたように制定経緯をきちんと認識していれば、当該法律の目的が「国際組織犯罪の防止」にあるのであって、「公権力の私物化規制」を目的とした改正でないことは明らかである。仮に公権力私物化を規制する目的で法改正を行うのであれば、「組織犯罪処罰法」ではなく、改めて「政治資金規正法」や「公職選挙法」など該当する法律を改正するよう訴えるべきであり、そうした活動については私も異論はない。

 以上のように、高山教授に代表される一部「専門家」の主張は、そもそも法律制定の契機となった「国際組織犯罪防止条約」の解釈を間違えており、そしてそのことが原因で批判はかなりおかしな方向にエスカレートしていった。最終的に高山教授らは「組織犯罪処罰法」の改正の目的は「テロ対策」ではないと断定し、「警察権限の拡大が目的」という見解や、「米国の圧力によるもの」といった見解など、著しく歪んだ見方を広める結果を生んだのである。現に、高山教授は、3月22日北海道新聞の寄稿で今回の法律について「真の提案理由は、取り締まり権限を広く確保しようとする思惑ではないかと疑わざるを得ない。現在日本の犯罪件数は激減し、戦後最低記録を更新中である。暴力団関係者の人数も大きく落ち込んでいる」と記し、6月11日朝日新聞への寄稿では「02年以降、犯罪の件数が半数未満に減少した一方で、人員が2万人増員されて仕事のない警察が権限拡大を強く求めている」と記している。

  国際社会から対応を迫られて条約締結のために法改正を行なった経緯からすれば、「暇になった警察官の仕事確保のために法整備をした」という見方は、余りにも飛躍し、かつ歪んだ見解と言う他無い。そしてそうした誤った見解が国民を著しく誤った方向へ扇動することとなってしまったことについて、高山教授など反対派識者の責任は非常に重いと考える。

 

 

「共謀罪を創設しなくても良い」という誤解

 そして、もう一つ大きな誤解を生んだ見解について記しておきたい。「条約加盟に当たっては共謀罪の創設は要らない」というものである。これも大きな誤解の原因となった見解であり、枝野議員ら野党議員が国会質疑の中で取り上げ、メディア等でも繰り返し主張されたものだ。

  「国際組織犯罪防止条約」では、その第5条1項において「共謀罪」又は「参加罪」の少なくとも一方を創設することが義務付けられていることは既に述べたが、「創設の必要はない」という誤った解釈は2002年「国際組織犯罪防止条約」の国内法制化ために刊行された『国連立法ガイド』のパラグラフ51に基づくものと考えられる。

 確かに、51条には「関連する法的な概念を持たない国が、共謀罪および参加罪のいずれの制度も導入することなしに、組織犯罪集団に対して有効な措置を講ずることを認める余地がある。」との記述がある。

 しかし、実は日本の法制度には既に、特定の犯罪について実行の着手前の共謀・陰謀を犯罪とする規定が存在する。例えば、刑法では77条・78条において内乱罪について陰謀を処罰する規定が存在するし、「爆発物取締罰則」第4条は爆発物使用共謀罪を定めており、平成25年に立法された「特定秘密の保護に関する法律」第25条では特定秘密の漏えい等の共謀を処罰する旨定めている。また我が国には、複数名犯罪を共謀し、一部の者が犯罪の実行に出た場合、犯罪を実行していない共謀者も処罰の対象となる「共謀共同正犯」という概念もある。つまり、「立法ガイド」で言う「関連する法的概念を持たない国」に日本は含まれないのである。

 従って、「国際組織犯罪防止条約は共謀罪の創設を義務付けていない」という主張は、「立法ガイド」をよく読んでいない為に誤解したか、あるいは国民を扇動し共謀罪の創設を阻止するために「立法ガイド」を都合良く切り取って利用したという他ないと考えられる。

 

 

一方、国会における法律制定過程には重大な問題があった

 これまでは「共謀罪」創設の必要性、また「国際組織犯罪防止条約」加盟の必要性について述べたが、一方で、当該法律を決定する過程、つまり国会審議のあり方自体には非常に大きな問題があったと私は考えている。政権与党の「奢り」と言われる部分が、確かにそこにはあったと思う。

 決定過程の問題とは、参議院において委員会での審議を終了せずに、本会議で中間報告し当該法案を議決してしまったことである。野党が問責決議を出し、国会の日程がきつくなったと与党は主張したが、別段国会を少しも延長できない合理的な理由はないため、東京都議選を見据えた与党の政治的な理由だとしか考えられず、国会史上同様の前例もなく、到底あるべき国会審議のあり方だとは言えない。野党はこれを受けて「暴挙」だと政権・与党を批判していたが、確かに委員会審議の非合理的な打ち切りと中間報告で議決することは、実に「委員会中心主義」の否定であり、国会法第56条違反に当たると考えられる。つまり違法に立法された可能性が濃厚だということである。

 日本の国会は、国会法第56条第2項により、原則として委員会に案件を付託しその審査を経て本会議に付する事となっており、これを普通「委員会中心主義」と呼んでいる。今回の「改正組織犯罪処罰法」について、委員会採決を経ずに本会議で中間報告した上で議決した件は、国会法56条の3の②に基づいているとされるが、国会法の第56条の3は「①各議院は、委員会の審査中の案件について特に必要があるときは、中間報告を求めることができる。②前項の中間報告があつた案件について、議院が特に緊急を要すると認めたときは、委員会の審査に期限を附け又は議院の会議において審議することができる。③委員会の審査に期限を附けた場合、その期間内に審査を終らなかつたときは、議院の会議においてこれを審議するものとする。但し、議院は、委員会の要求により、審査期間を延長することができる。」となっている。

 この規定について、国会法の専門家である駒沢大学の大山玲子教授は、「委員会審議が理不尽な形などでストップしたときに本会議で中間報告をし、一週間など期限を区切って議論をまとめるように促して、それでも無理な場合に委員会採決を省略して本会議で採決するための手続き」を定めたものだと述べている。野党が委員長ポストを握っている場合などはこの規定を援用する場合もあるが、今回、与党が委員長であり、かつ委員会審議を十分行えない合理的理由については全く説明されておらず、国会法56条にある「特に緊急を要する」根拠についての説明も全くなかった。大山教授はこれをとらえて「政府・与党による審議拒否だ」と強く批判している。

 国会の会期終了が差し迫っているというのが今回の理由になるならば、会期終了間近の法案は全て委員会審議をしなくて良いことになってしまうので、そもそも「時間が無い」というのは理由にならない。与党もそうしたことが分かっているので、明確な説明を行っていないのであろう。この点につき、立命館大学の松宮孝明教授は「必要性や緊急性の根拠が説明されておらず、成立自体に疑義がある」とし、法案成立過程の「違法性」を指摘していたが、これは説得力のある問題点の指摘だと私も考えざるを得ない。

 必要性の高い法案だからこそ、審議を尽くして「違法立法」だと言われないように国会法に基づく適切且つ丁寧な手続きが必要だったのではないかと思う。

 

 

「国際的組織犯罪防止条約」は、なぜ「テロ防止条約」と名付けられ無かったか

 次に、「テロ」の根本的な問題について問題提起をしておきたい。

先に述べた京都大学の高山加奈子教授らが「国際組織犯罪防止条約はテロ対策の条約ではなく、マフィア対策の条約である」と勘違いした背景には、実はそれなりの理由がある(実は、「テロ防止」と称して改正された組織犯罪処罰法にも、当初は「テロ」の文字が含まれておらず、批判されて後に付け加えたという経緯がある)。

 それは条約自体が、「テロ防止条約」ではなく「国際組織犯罪防止条約」と名付けられたことに象徴されるが、確かに、同条約には直接「テロ」という文言を用いてそれを防止するための規定が存在していないのである。

 しかし、それは当該条約が「テロ」を防止する目的のものでは無いからということではなく、「テロ」の定義について、国際社会で未だに定められないという現実があるからだ。その為に、先に言及したが、「国際犯罪組織」と「テロ組織」という実質的には殆ど同じ集団を指す両者を、形式的に理論上区別し、「国際組織犯罪防止」という表現を用いたのである。類似した「国際テロリズムに対する包括条約が締結不可能な状況に陥っているのも、そうした状況による。

 ではなぜ「テロ」の定義が定まらないか、実はそれなりの理由がある。日本や欧米諸国が「テロ」と呼ぶ行為について、他の国や団体から「テロ」ではなく、それは「レジスタンス(抵抗運動)」や「ジハード(聖戦)」、あるいは「民族自決」であるなどといった見解が存在する。つまり、ある国にとって「テロ」と呼ばれる行為が、他の国にとっては国際法上合法な武力行使だと主張される場合があるのである。

 確かに、この点は非常に難しい問題を孕んでいる。日本では「テロリズム」の定義について、「広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう」と警察庁組織令第39条では規定されている。

 しかし、国際社会において、ことはそれ程単純なものではない。なぜなら前提として、国際社会は国内と異なり、無秩序状態であり、事実上世界政府や世界警察が存在せず、国家の違法行為について確立された法に基づいて処罰されるという公平・公正さを欠いているからである。当然、どこかが法に基づいて公正に裁かれなければ、報復や抵抗運動など正当化される武力行使も存在するという見解が出てくるであろう。イスラム圏に対しても、中国、ロシア、米国に対してもそれは然りである。

 そしてそうした点は、今回の法改正の背景となった「国際組織犯罪防止条約」の「立法ガイド」にも明記されている。同ガイドのパラグラフ59は「Conspiracies with purely non-material objectives, such as ideological goals, are not required to be covered by this offence.(イデオロギーに係わる目的など、純粋に非物質的な目的を持った共謀は、この犯罪の対象とすることを求められていない)」とし、純粋なイデオロギーに基づく暴力主義的破壊活動の共謀は除外されているのだ。これはひとえに「テロ」の定義が確立できなかったことに起因する。

 従って、「テロ」を防止する苦肉の策として、「テロ集団」の殆どが国際金融犯罪などを行っていることを念頭に、当該条約の対象犯罪を「金銭的または他の物質的利益の獲得に直接または間接的に関わる目的」を持ったものと定め、「テロ」という文言ではなく「国際組織犯罪」という文言が使われたのである。つまり、形式的には「テロ」防止を謳ってはいないが、実質的に「テロ」を防止する効果を持つというのがこの条約の特徴だと言えよう。日本の外務省もこの点について、国際組織犯罪集団は、「テロ集団」であろうがそうでなかろうが、組織を維持するために全て資金を必要とし、事実「テロ集団」の殆ど全てが国際金融犯罪によって資金調達を行っているため、事実上「テロ集団」がこの条約の対象となると説明している。

 しかし一方で、確かに「テロ」は必ずしも「金銭的または物質的利益」のみを目的としたものばかりではなく、一人あるいは少人数でも、金融犯罪を行わずに、また資金調達すらせずに「テロ行為」を行う場合も存在する。つまり、当該条約の対象とならない純粋な政治目的、報復や抵抗運動などを目的として暴力的破壊活動を行う者が存在するという現実もある。この点はテロの防止を考える上で重要なので、次の項で言及したい。

 いずれにせよ、「テロ」の定義が定まらないことで、当該条約と国内法の整合性にも若干の齟齬が生まれるのであれば、名称を「テロ等準備罪」ではなく「国際組織犯罪等準備罪」とすれば、混乱を招かずに済んだかも知れない。

 

 

「テロ」がなぜ生まれるのかを議論しなければ、「テロ」を根絶することはできない

 私が学生時代に読んだ本の中で、2004年イラクの取材中に亡くなったジャーナリストの橋田信介氏が著した『イラクの中心で、バカとさけぶ』という本がある。少し古く、かつ少し長くなるが、「テロ」を理解する上で一つの手がかりになると思うので、その本の「ある自爆者の遺書」という部分を引用したい。

 

(以下引用)

 ワシはバクダッドで野菜屋を営む66歳の老人である。まだ少し時間があるから遺書を書こうと思う。

忘れもしない今年の3月25日、ワシの家にアメリカの爆弾が落ちてきた。悲しいかな、その爆弾で一家全て死んでしもうた。一家というのは、ワシの息子夫婦とその子供たち3人だ。3人はワシにとっては可愛い孫だった。7歳の息子、5歳の娘、一番下の娘は生まれたばかりでゆりかごの中に入っていた。

ワシの古女房は3年前に病気で亡くなっている。だからワシはたった一晩で天涯孤独の身となった。

最初ワシは一つのことしか考えられなかった。どうしてみんなは2階の部屋に寝ていたのか、みんながワシと同じ1階の部屋で寝ていれば。せめてそれが逆だったら。ワシは繰り返し、繰り返し、それだけを考えた。

ワシは死にたかった。ただ、死にたかった。それでも近所のモスクだけは通っていた。「天の神」と話をすることだけが慰めだったからだ。モスクに集う友達が『王書』の一節を歌ってくれて、私を慰めてくれた。皇太子である息子を亡くした王女の悲しみを歌う部分だ。

「彼女は若年のわが子を嘆き悲しみ、興奮して着物を引き裂いた(中略)悲痛な叫び声をあげ、ときどき気を失った。爪を両目に突っ込んで火中に投げ入れた。巻髪を輪なわのように巻きつけ、指で根元から引き抜いた。彼女の顔から血がしたたり、ときどき失神して倒れた。(後略)(『王書』25章)」

その詩はワシの気持ちを表していた。別の友達は古くから伝わる有名な詩を吟じてくれた。

「一滴の水、大洋に注ぎ、一粒の土、大地に合す。お前がこの世に来て去るとてなんだ。一匹の蠅が現れて、消えるだけ(『ルバイヤート』58)」

その詩句も何かをワシに教えてくれたかのように思う。

 

そんなある日、モスクで目つきの鋭い中年男に話しかけられた。彼は言ったのだ。爆弾を落としたアメリカに復讐する方法があるのだ、と。ワシは目を開かれた気持ちだった。ワシは無性にうれしかった。

ワシは生きる勇気と喜んで死ぬ目的を見つけたのだ。ワシは喜んで世界のみんながいう「自爆テロ」とやらに志願したのだ。

ワシは遠い日を思い出した。父親の膝に抱かれた遠いあの日を。そのとき、父親はアラブの古い格言を教えてくれた。

「人の命は山よりも重く、あるいは羽のように軽い」

恥ずかしながら、この年齢になって今、初めてこの詩句の意味がわかった。

ワシの孫の命は山よりも重かった。だが、今のワシの命は羽のように軽い。

 

今日の明け方、ワシは約束通りチグリス川に近いある場所に出頭した。そこに爆弾を満載したトラックが用意されていた。ワシはすぐさま米軍兵舎に向かって出発したいと思った。ところが、私を世話してくれた男が、行く先はバクダッドの「国連事務所」だというのだ。ワシは怒った、約束が違う、と。

その男は語ってくれた。国連はアメリカより卑劣なのだ、と。国連はグルだった、我々をダマしたのだ、と。彼らはアメリカとの戦争を避けてやるから、どんな兵器を持っているのか、どこにどんな部隊があるのか、世界に公開しろといった、と。

そうすれば、アメリカの侵略を防いでやる、と約束した。だから、我々は国連の査察団を受け入れてすべての軍事施設を調査させた。あげくのはては「トラの子」であるミサイルも解体させられた。

そのことはワシも知っていた。戦争を避けられるならそうすべきだとワシも思っていたからだ。

世話をする男は続けて語った。その結果はどうなったか、すべての軍事情報は査察団を通じてアメリカに流れ、我々はいいようにいたぶられた。本来、戦争が開始された時点で、国連事務総長であるアナンという男は、責任をとって辞任すべきではなかったのか。男は激しい怒りをこめて、そういった。

ワシは正直いって、政治のことはよくわからない。でも、この男の人柄と目は信用できると思った。

ワシは喜んで国連事務所に向かうことにした。ワシは無性にうれしかった。アッラーもワシを祝福してくれるだろう。生涯の最後の最後に、大きな善行をほどこせる。

ワシの人生は完結した。ワシは心からの至福につつまれて炎に燃えるだろう。

男が呼んでいる、ようやく時間がきたのだ。ワシは幸せな気分で筆をおける。

「アッラーの神は偉大である、アッラーに祝福あれ!」 

 

黒煙が上がるガレキの焼け跡で、私は一人の老人と出会った。その老人は、カラになったワラのゆりかごを抱きながら、私に向かって「ベイビー、ベイビー、ベイビー(孫が殺された!)」と、たった一つの英語をさけんだ。私に向かって、抗議するように、訴えるように、そういった。

あの老人は、こんな遺書を書いて欲しかったに違いない。私には、そう思えてならない。

バグダッドの国連事務所が自爆テロで爆破された際、ニューヨークの国連本部で行われた記者会見で、国連広報官は記者の一人に国連事務所がテロリストの標的になった理由を問われ、「わからない」と答えている。私が捧げた一文は、その答えになるだろうか。

 

 アメリカのブッシュ大統領は「これからもテロリストと闘う」と宣言しています。どうぞ闘って下さい。テロリストはまだまだたくさんいます。

あなたが落とした爆弾の数だけ、新しく生まれたのですから。

闘いはまだまだ続くのです。

 

追申

以下無用のことながら―。

イラク戦争に関して、二人の若い日本人外交官が「戦死」した。

バグダッドの老人の「戦死」と同じで、一人一人の命に様々なドラマがあることを思い知らされる。残された家族には、これからつらい人生が待っている。

東京での葬儀において日本の小泉首相は「テロに屈しない」という弔辞を述べた。さらに「人道・復興の遺志を引き継ぐ」として、イラクへの自衛隊派遣を決めた。戦後はじめて外国の「戦場」に日本の軍隊が派遣される。

日本の兵士がテロによって殺されるか、あるいはゲリラに応戦して逆に相手を殺すか、まだ誰にもわからない。

 

 2003年、ブッシュ大統領は「イラク」という毒まんじゅうを食べてしまった。その結果、ゲリラ菌によってひどい下痢になってしまった。こりゃたまらんと、大統領は日米同盟に基づいて日本にも協力を強要する。小泉首相も甘党なのだろう、年末ギリギリに毒まんじゅうを食べてしまった。熱が出るのか、寒気がするのか、下痢だけで終わるのか、これまた誰にも分からない。

 だが、どういう病状がでようと「自業自得」だと思うこと。なぜなら、これは戦争だからだ。そしてその戦争を選択したのは小泉首相であり、その小泉氏を首相に選んだのは、我々日本国民なのだから。

 

 2004年、どんなことがイラクで起きようと、「泣き言」はいわない決意を固めよう。平和ボケは許されない時代が始まった。

(引用終了)

 

 橋田氏は、イラク戦争当時、ジャーナリストとして危険を顧みずイラクで取材をし、先の本を書いた後、イラクの戦場で亡くなった。橋田氏は先の引用の中で、「推測」と「事実」をつなぎ合わせ、現地のイラク人がどのようにして「テロリスト」(あるいは「レジスタント」)になるか、具体例を挙げて非常にわかりやすく、且つ実に率直に書いていると思う。そしてこの文章は、今読めば橋田氏御自身が私たち日本人に向けて残した遺書のようにも思えるだろう。

 橋田氏は決して「日米同盟を考え直せ」とか「自衛隊派遣はやめろ」などということは書いていない。ただただ日本国民が自分自身で考えるための現地の情勢・情報をわかりやすく伝えている。

 発売当時大学生であった私はこの本を読んで、「テロ」について衝撃を受けた。なぜならば日本では「テロリスト」がなぜ生まれるのか、なぜ「テロ」という行為に訴えるのかということについて殆ど議論されず、「テロ」は「絶対悪」として、「取り締まる」ことしか考えていなかったからである。

 そして今回の法案を巡る議論を見ていて思うのは、当時と同様、今も日本は「テロ」を「取り締まる」ことしか考えていないということだ。

 しかし、本当に「テロ」をなくすには、「テロリスト」がなぜ生まれるのか、その原因をしっかりと認識し、その上での対応を考えなければならないのではないだろうか。「組織犯罪処罰法」を改正しても、「国際組織犯罪防止条約」に加盟しても、「テロ」は決して無くならないというのが現実だ。橋田氏はそのことを言っている様に思う。

 私がこうした国際社会の現実を知っていつも想うことは、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」なら、日本はもっとしっかりと自立し、独自に考え、国際社会に向けて発言する国力と信頼を身に付ける必要があるということだ。「テロ」をなくすためにも、日本はそうした国を目指すべきではないだろうか。「共謀罪」や「国際組織犯罪防止条約」に関する議論を深めると同時に、世界で今何が起こっているのか、日本人はもっと多くの現実を認識し、どういう国を目指すべきか今一度考えるべきだと私は思う。