裁判所は「事実認定」をして当事者の請求について当否を判断します。

ある事実が存在すると、ベルトコンベア式にそれに応じた法律効果が生じるので、私達の訴訟における活動は、裁判所に事実認定をしてもらえるようにもっていく、ということが主眼になります。


例えば、お金の貸し借りでいうと、

・ 山田さんが田中さんに100万円貸した。

・ 田中さんは、5月末には100万円を返す、と言った。

・ 約束の期限である5月末は過ぎた。

という事実を裁判所に認めて貰えば、裁判所は、

 田中さんは山田さんに100万円払いなさい

という判決を出してくれるのです。


そして、私達は裁判所に判決の元になる事実(上の3つのような)を認定してもらうために「主張・立証」という活動をするわけです。


事実認定には弁論主義という大原則が支配しているのですが、それはおいといて、今日は間接事実について、特にお話ししたいのですが、さらにいったん話を別のところにやります。

私などは結構人間観察が好きで、勝手にその人がどんな人かとか何をしようとしているのかとか、電話の相手がなんと言っているのかなどの想像を広げたりしています(別に変なことはしてませんよ。念のため。)。わかりやすい例だと、5月後半のある日、学生が電車の中でやたら教科書をチェックしている、というようなシーンに出くわしたとき、「ああ、中間試験か。」とか思ったりしませんか。実は、これが「間接事実による事実認定」の手法なんです。

別にその日が中間試験であることを立証する必要はないわけですが、仮に中間試験であることを立証する必要があったとして、一番直接的なのは、学校の予定表を裁判官にもっていくことですよね。こういうのを「主要事実」を「直接証拠」(事実を直接証明する証拠)によって立証する、といいます。

「私はその学校に通う中学生です。その日は中間試験でした。」という供述も、人の口から発せられたことについてはその信用性吟味が必要になりますが、直接証拠です。

でも、直接証拠による立証って実はなかなか難しいんです。例えば私がおなじようなことを主張立証しようとしても、学校の予定表も手に入らないし、その中学生も知り合いでなければ裁判官のところへ連れていけません。


それで、直接主要事実を立証するものではないけれど、ある事実が主要事実の存在を推認するというような事実を「間接事実」というのですが、これを積み重ねて、主要事実を認定してもらう活動が重要になってくるのです。ちなみに間接事実を基礎づける証拠を間接証拠と言います。先の例で、私がピックアップしたのはまさに間接事実でして、間接事実から「本日は中間試験である」という事実を立証したことになると思います。


まさに推理もののようで、間接事実による主要事実の推認、が決まると、ちょっと気持ちいいです。


ただ、事実は取り違える危険性があります。分かりやすい例でいきますと、「知人と出くわしたときにあいさつがなかった。」という事実を、「あいつは俺のことを嫌いだから無視をした」とばかり評価してはいけません。「目が悪くて気づかなかった」「自分があまりに見た目が変わったから気づかれなかった」「悩み事を抱えていて注意力散漫になっていた」等いろんな可能性がありますのでね。

また、一つの事実が積極消極両方の意味を持つ場合もありますので、間接事実は難しいのです。

で「たのくるしい」となるわけです(遠藤周作さんの造語)。


間接事実については、技術論もありまして、それは別の機会にお話ししたいと思います。