ニコラス・シャックルトン | さまようブログ

ニコラス・シャックルトン

さまようブログ  ケンブリッジ大学第4紀学研究室HP より
ニコラス・ジョン・シャックルトン(Nicholas John Shackleton)、1937-2006、イギリス

古気候学の発展に大きく寄与


 前々回前回紹介した ユーリーやエミリアーニにより、化石を用いて過去の水温(古水温)が再現可能であることが示されました。これはまさに画期的なことで、古気候学のブレークスルーだったことは疑う余地がありません。しかし、まだ問題点は残っていました。


問題点1.試料がたくさん必要である

 有孔虫は普遍的に存在する化石ではありますが、だからと言って簡単に採取・分析できるものではありません。有孔虫を用いて古水温を再現しようとすると、数百個ほどの有孔虫が必要でした。顕微鏡下で有孔虫(大きさは1mm以下)を数百個も拾い集めるのは容易ではありません。できたとしても、世界各地から集まってくるサンプルを分析するのに膨大な時間が掛かってしまいます。

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「有孔虫化石を集める」と簡単に言うが、大きいコア(円柱状の海底堆積物)を薄くスライスして、その中から同じ種類の有孔虫化石だけを何百個も集めてくるのは大変な手間。しかも、このようなコアは世界中から多数集まってくる。写真はJAMSETC HP より。

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問題点2.データに矛盾がある

 前回も書きましたが、ある海域の古水温を有孔虫に含まれる酸素同位体比より再現してみると、かつてその海域は凍り付いていたという結論が得られました。しかし、地質学的な調査から、そのような事実はないことが示されました。これは、有孔虫による古水温再現の有用性を根幹から揺るがしかねないものであり、問題点1よりもさらに深刻な問題点だったと言えるでしょう。


 この2つの問題点に答えたのがシャックルトンだったのです。

回答1.質量分析装置を改良することで、従来の10分の1の有孔虫で古水温再現が可能となった

 シャックルトンはユーリーの質量分析装置を改良することにより、感度が10倍に達する質量分析装置を作り出しました。シャックルトンが所属していたケンブリッジ大学の研究室では、顕微鏡で数百個も有孔虫を取り出す余裕がなかった(金銭的にもマンパワーの点からも)という、ちょっと悲しい事情があったようです。

 これにより、古水温解析に必要な有孔虫化石の数はずっと少ない量ですむようになりました。これは解析速度を飛躍的に向上させることにつながりましたが、もう一つ重大な意味を持っていました。

 有孔虫は海の浅い所に住む種が多いのですが、深い所に住む変わった種も存在します。浅海の有孔虫と深海の有孔虫は、周囲の環境が違うわけですから異なる同位体比を持っています。浅海と深海の有孔虫をきちんと区別して分析できればより詳しく古環境が分かるのですが、残念ながら深海の有孔虫化石は数が少ないという欠点がありました。そのため、エミリアーニは浅海の有孔虫化石を用いざるを得なかったのですが、シャックルトンは深海の有孔虫化石の同位体比を分析することに成功したのです。その結果は、問題点2を解消するものとなりました。

回答2.有孔虫化石の酸素同位体比は、海水温そのものではなく氷床の量を示していると考えれば矛盾は解消される!

 地球の水の循環を考えてみましょう。雨は、そのほとんどが、蒸発した海水を起源としています。海水の蒸発は低緯度地域で活発なのに対して、高緯度地域では活発ではありません。大ざっぱに言えば、雨水は赤道域から両極域に運ばれていくのです。

 さて、雨水(H2O)に含まれる酸素には同位体16O、18Oがあります。この2つの化学的性質は同一ですが、わずかに重さが違います。そのため。海水が蒸発するとき、軽い水(H216O)は重い水(H218O)より蒸発しやすいということになります。一方、重い水は雨となりやすく、軽い水は雨になりにくいことになります。

 このため、雨水は海水より軽い(16Oが多い)水になり、また、同じ雨水でも高緯度地域に降る雨ほど軽い水が多いことになるのです。

 この時、高緯度地域に降った雨が海に返っていくのなら、いずれはその水は赤道付近に戻っていき再度蒸発をするというサイクルになるため、平衡状態になります。しかし、両極に氷がある時期だとどうなるでしょう?軽い水は氷として固定されてしまい、海水は徐々に重い水の割合が多くなっていく、ということになるのです。

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「軽い水」と「重い水」の循環を示す図。氷床が発達するほど、海水はより重い水が優越するようになることがよくわかる模式図。山形大学HP より。
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 海水自体の酸素同位体比が変化するのですから、海水を取り込んで生きている有孔虫に含まれる酸素同位体比も変化するのが当たり前です。深海に住む有孔虫を分析することにより、有孔虫化石の酸素同位体比は、水温ではなく氷床の量を強く示唆するものだったことが明らかになりました(注:ユーリーの項 で示したように、水温の影響ももちろん受けます。水温自体の効果より、氷床量の効果が大きい、ということです)

 エミリアーニは氷期の海水温は現在より6℃ほど低いと計算していましたが、シャックルトンによりこれは過大な見積もりであり、実際には2℃程度しか低くなかったことが明らかにされました。

 

 有孔虫化石の同位体比は古水温そのものを示すのではなく、その有孔虫が生息していた当時の氷床の量に比例する。これはとりもなおさず、氷期の時期を直接的に示すものになります。結果的にエミリアーニは誤っていたのですが、それはエミリアーニの業績を否定するものではありません。シャックルトンはエミリアーニの業績をよりよい方向に発展させたのです。

 科学は一足飛びに正解に達するものではありません。多くの学者達の無数の業績とその修正により、一歩一歩正解に近づいていくものなのです。エミリアーニとシャックルトンの研究は、そのことを如実に示していると思います。


参考HP:

ケンブリッジ大学第4紀学研究室

http://www.quaternary.group.cam.ac.uk/history/directors/shackleton.html

Real Climate

http://www.realclimate.org/index.php/archives/2006/02/sir-nicholas-shackleton/

ガーディアン誌、シャックルトンの死を受けての追悼文

http://www.guardian.co.uk/environment/2006/feb/13/science.guardianobituaries

ブループラネット賞歴代受賞者

http://www.af-info.or.jp/blueplanet/list.html


参考文献

チェンジング・ブルー

海と環境

Oxygen isotop analyses and Pleistocene temperature re-assessed

http://www.es.ucsc.edu/~rcoe/eart206/Shackleton_OxyIso-Paleotemp_Nature67.pdf