読売新聞社説 | さまようブログ

読売新聞社説

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100503-OYT1T00811.htm

 ちょっとこの社説は、いくらなんでもレベルが低すぎます。


 ここで出てくる「日本学術会議が初めて、この問題を公開の場で論議する会合を開いた。」というのは、

http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf/94-s-3-1.pdf

 のことでしょう。まず、この会合自体がそもそも何らかの結論を出すためのものではなく、現状を整理する意味合いが強いものでした。よって「会合では、専門家がそれぞれ自説を述べるだけで学術会議の見解は示されなかった。このまま終わらせてはならない。」と批判するのは的外れです。そもそも「公開シンポジウム」ですよ、これ。読売新聞社は、自社主催の公開シンポジウムで出た意見を、新聞社の公式見解として示すというのでしょうか。

 学術会議の見解はとっくに示されています。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-h72-1.pdf

 この見解は今回のIPCCのスキャンダル(と懐疑派が呼ぶもの)を受けても、基本的には何も変化していないと思います。異論は少数あるものの地球温暖化は真に起きており、人類にとって重要な問題であることは、学術会議の変わらぬ見解です。


 「「ヒマラヤの氷河が2035年に消失する」「アフリカの穀物収穫が2020年に半減する」といった危機感を煽る内容」があったのは事実だとしても(注;ただし、アフリカの穀物収穫が2020年に半減するという報告が危機感を必要以上に煽る内容なのかというと、個人的にはそうは思いません)、それと反対に、極地の氷の融解が加速しているという報告や海面上昇が予想より加速している事実はどう考えているのでしょうか?必要以上に煽っていると批判する一方、これらを過小評価していると批判しないのはなぜなのでしょうか?


 「環境団体の文書を参考にするなど、IPCCが報告書作成の際の基準としていた、科学的な審査を経た論文に基づくものではなかった。」という批判には、ならばなぜ、世の中の懐疑論を展開する人が科学的な審査を経た論文に基づいていないことを批判しないのでしょうか?科学的審査を経た論文に基づいていない度合いは、懐疑論者のほうが圧倒的に高いことについてどう考えているのでしょうか?


 「この10年、温室効果ガスは増える一方なのに気温は上がっていない矛盾を、温暖化問題で主導的な英国の研究者が公的に認めた」というのは、そもそも批判にすらなっていないことを社説著者は理解するべきです。たぶん以前紹介した ジョーンズ博士の発言を受けているのでしょうが、別にことさらに取り上げなくても、この10年と区切るなら有意に気温が上昇していないことは、温暖化を問題とする科学者ほぼ全員がそう思っています。この批判には、タイムスケール というものへの認識が完全に欠如しています。科学者達は10年などの単位なら温暖化傾向が停止することはあると以前から言っていました。「この10年、温室効果ガスは増える一方なのに気温は上がっていない」と、まるで新しい発見があったかのように主張し「矛盾」と批判されてもどうしようもありません。こういうのを「独り相撲」と言うのでしょう、この社説の著者は、著者の頭の中に存在する科学者を批判しているにすぎません。



 アメリカでもFOXのような保守的な新聞は、ことさらにIPCCのミスを取り上げたり、少数の懐疑的な科学者の意見を必要以上に強調するきらいがあるようです。読売新聞もその傾向があると言えるのかもしれません。

 本来、保守とは「変えなくてもいいものは変えない」考え方のはずなのですが、往々にして「変えるべきことも変えない」スタンスを取りがちです。気候変動対策は、どのようなものにせよこの社会の有り様を変えることは疑いありません。この社説からは「変えるべきことも変えない」スタンスが透けて見えるように思えてなりません。


17:10追記

「温暖化の気持ち」を書く気持ち さんでも紹介されていました。

19:20追記

実際にシンポジウムに出席されていた、macroscope さんのブログに記載がありました。なるほど・・・。

19:55追記

シンポジウムのことには触れていませんが、朝日新聞も5月2日社説で気候変動問題について触れていました。

http://www.asahi.com/paper/editorial20100502.html

個人的には、明らかにこちらの社説の方がいいですねえ。