大晦日(おほつごもり) | Denbayのブログ

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■数ふれば わが身につもる 年月(としつき)を 送り迎ふと なに急ぐらむ

平兼盛の歌。
兼盛は百人一首の歌人でもあり、勅撰集にも90首が入撰している。三十六歌仙の一人だけれど、歌は素直で分かり易いものが多いような気がする。
この歌は『拾遺和歌集』(巻第四冬)に採られているが、「和漢朗詠集」の上巻の最後にも載っている。それだけでなく、大納言藤原公任(ふじわらのきんとう)の歌論書「新撰髄脳」でも「よき歌のさまなるべき」ものの一つとして挙げられている。公任は、

凡そ歌は心ふかく姿きよげにて心にをかしきところあるをすぐれたりといふべし。こと多くそへくさりてやと見たるがいとわろきなり。一すぢにすくよかになむ詠むべき。

と論じているから、兼盛の歌もそのような歌として評価されていたのだろう。
角川文庫版の『和漢朗詠集』(三木雅博=訳注)では、次のように訳している。

「数えるだけでいやでも自分の身に積み重なっていく年月だというのに、それを送ったり迎えたりするといって(人はこの時期)なぜ忙しく立ち働くのだろうか。」

ある人は、「年月」を「疾し尽き」と解していた。なかなか面白いと思う。
http://blog.goo.ne.jp/s363738n/e/62d3e72fb9602a940543e4a28eab1421

『和漢朗詠集』では、この歌の前に、次の歌がある。

■あらたまの 年も暮るれば 作りなむ 罪も残らず なりやしぬらむ

年末には仏名会(ぶつみょうえ)が行われるので、年内に為した罪も消えるだろうという歌。
『和漢朗詠集』では兼盛の歌とされているが、『兼盛集』に見えず典拠も未詳で、兼盛の作であるかどうかは疑問があるようだ。
三世の三千の仏名を唱えることは出来ないけれど、初詣の前に、今日のうちにお寺に行って念仏でも唱えておこうかと思った。掃除をサボって(笑)。

歌は新潮日本古典集成版の『和漢朗詠集』に拠った。