「音楽も絶対そうだって。『永ちゃんどこ行っちゃうの』って言われた永ちゃんは消えなかったんだよ。それがミソかなと思ったのがここ十日ぐらい。
俺の音楽、十分評価されてんじゃないの?ってね。この『YOURSONGS』が出たときに、矢沢の音楽をそんなに知らなかった人が入門編で入ってくると思うのよ。
だってここんとこ、すごい勢いで若いファンとか女性とか増えてる。コンサート会場見たらわかるから。
矢沢の固定イメージって強いじゃん。今でも暴走族の親分じゃないかって思ってるのもいて、そういう連中は。パセオラの風がなんか聴いたら、この人すごいメロディメーカーだって絶対言うよ。
どんなアーティストよりも音楽家だって言いますよ。もし俺があと10年歌えたら、45年間アーティストやってるのと一緒だよ。拍手されますよ、矢沢すごいって。
それの布石として絶対この『YOURSONGS』は、渋谷さんが言った『実は永ちゃんが一番ドキドキして楽しんでる』ってそうなのよ。
できたときに、俺はやったと思ったもん。でもなんで8年前にわかんなかったんだろう? 思い込みも強いんだねえ」
-(笑)ミーハーだっていうのも、時代で生きてるからで。時代の音と空気を呼吸していて、そこに影響されてるからこそ、現役でいられるんですよ。
「ものすごく時代の影響受けて貪欲に食ってる、それが矢沢を支えたものでもあるよね」
-それとデリケートなことですけど、日本嫌いだったんじゃないですか?
「俺が昔、広島嫌いだったんだよ。『成りあがり』にも書いたけど幼少の時代の気分ってひきずるじゃない。
ほんとに嫌なのかっていったら、涙が出るぐらいやっぱり自分の故郷なんだよね。だけどとにかく広島嫌いっていうのをバネにした部分もあって。
俺は絶対広島見返してやるからって気持ちはなかったっていったら嘘になる。でも年とともになのか、広島っていい街に俺は生まれたなと、今はつくづく思うのよ。矢沢の広島嫌いって有名でさ。
いろんなところで広島なんてファック・ユーだよ、飛行機の上からションベンかけてやるよってハッキリ言っちゃってるんだから。
広島のファンは淋しいよね。それも含めて広島で、ステーージの上で言ったのね。俺はすごく広島のこと愛してるって。
客みんな泣いちゃったし、俺も泣きそうになった。音楽もそうだったかもわからない。日本の音楽、そんなガキのセンズリこいてるような国でバカタレっていうのがありましたよ。
俺は海の向こう行くんだって。スネアの抜け一個がほんとぶっ飛んだから。ドウービー・ブラザーズに最初会ってバーンとやられたときに、ああ洋楽はこれだよって」
-ははははは。
「でも別な見方で見てみてよ。これ、純粋な証じゃん。我々ロックやってる奴が海の向こう憧れてないって言ったら嘘こくなよって言うよ。
お前はニセモンだって言うよ。ロックやってる奴は十人中十人、九人と言わない、十人までがイギリスでやりたい、ニューヨークで、LAで、向こうの本物の奴らに会いたいよ。
だけど何人の奴が根性待ってアメリカ行って暮らす? 暮らせませんよ。矢沢は行くじゃん。ひょっとしたら誰よりも矢沢って行動力あるし、純粋なんですよ。
日本を嫌いと思うことがエネルギーにもなってたし。本場の奴らと俺は空気を接してて、よし、一からやるぞみたいなさ。でも元っていうのは決して日本嫌いでバカにしてってわけじゃない。
広島と同じ理屈よ。だからこそどうしてそれができたかっていったら根が真面目だからよ。探求心が嘘じゃないからよ」
・・・続く
bridge vol.49 2006年8月号 矢沢永吉インタビュー目次