こたつねこさんのコメントに教えられてEMILYとYOUの声を聴く。


もっさんの指令によるレポート、ということだけど、もっさん、若手に押し付けて自分は逃げたな(笑)


3人から寄せられる愛情や信頼から考えると、たまに画面に登場する表情とか、代々木で実際に見かけたイメージとか、思った以上に気難しい人なんじゃないか、という気がする。

しかも、天然なんじゃないか、と(笑)


そして、あ~ちゃんブログ更新。


のっちとは対照的であり、やはりこの人の魂の形はかしゆかと相似形なんだな、と感じた。


オリコンウィークリランキングアルバム部門で1位を獲得しながら、ああいう理由で涙を流す。

良い意味も悪い意味も無く、あれが「Perfumeのあ~ちゃん」の姿、少なくともその一部なのであり、僕たちファンはいい加減そのことに慣れなければいけないんじゃないか、という気がする。


あ~ちゃんは今までの活動の中で、基本的には(ごくゆるい縛りの中で)公けの場、リリースイベントであるとかラジオ番組内のインタビューとか、Perfumeのメンバーとして発言する時には、「Perfumeのあ~ちゃん」としのてステイトメントに徹してきた。


「Perfumeのあ~ちゃん」としてだけではない、西脇綾香さんとしての発言を、ファンで無い人までが知るようになったのは、つい最近のことだ。


昔は、不安を吐露する時に垣間見える西脇綾香さんとしての言葉は、ごく一部のファン、収容人数数百人規模のライブに参加したファンくらいしか聴くものが無く、直接その言葉を聴いたファンには、その言葉のままあ~ちゃんの気持ちも届いていたんだろう、と思う。


今は違う。

同じライブステージでの発言でも、あ~ちゃんの、西脇綾香さんの前にいるのは一万人を超える観客だ。

そこには以前とは比べものにならない数と種類と世代のファンがいて、ファンとは違う立場に立つメディアの人間もいる。

彼女の言葉は人気女性ユニットのメンバーの言葉としてファン以外の人も知ることになり、ファンという立場の人たちの間でさえ、届き方が異なっている言葉は、独り歩きを始める、或いは無理やり文脈から引き離される。


あ~ちゃんのごく一部を表わすのに過ぎない言葉が、あ~ちゃんそのものとして取り沙汰される。


知らない振りは出来ない、僕もその作業を積極的に行ってきたからだ。


だから僕は、これからしばらくの間、あ~ちゃんの言葉をただ聴こう、と思う。

彼女の言葉にうなずき、無言で先をうながす。

彼女が話したいことがあれば、話したいだけ話せるように。


あ~ちゃんだから、というのではなく、一人の人間の言葉として感じられるように ▽・w・▽