わお。

雷による瞬間の停電でPCが2度も落ちた、大丈夫か、こうして記事を書いていられるんだから大丈夫だよな。


さて、のっち、世界のブロガー。

彼女の文才、ブログ上の記事における言葉の選び方使い方、そのセンスの良さは多数のファンによって指摘されています。


のっちの文章と言うのは何よりもまず読む人に向けてはっきりと書かれたものであり、基本的には「語りかけ」の形をとることが多いですよね。


あのね、とか、何々ですよ、とか自分以外の他者に向けて発せられた言葉を連ねて彼女の文章は作られています。


おそらくのっち、という人はわれわれの想像よりもはるかに内省的な部分を人格の中に持つ人であり、心の中にたくさんの発せられない言葉を抱えた人なんじゃないか、という気がします。


それらの言葉は、その人の中で繰り返し更新され、独白となり、まるで自分自身と対話するように言葉のやり取りがあったりして、その作業があれば自分の外側の思考形式(他者、ですね、友達とか同僚とか)とのコミュニケーションをあまり必要としなくて済む。


もちろん気の合う、心を許した相手とはずっと会話を続けることが出来るんだけど、楽しい会話という状況でさえストレスの原因となってしまう感じ。


友達や仲間と楽しく過ごしたはずの時間を終え、一人暮らしの部屋にかえってドアを開け、閉め、自分一人きりになった時にようやく大きなため息とともに文字通り一息つける、リラックス出来る、そんなタイプの人なのかもしれません。


自分の言葉、普段の喋りを文章で構成するタイプの人であって、頭の中に浮かんだ自分の言葉を読む時、タイピングミスをするように噛んだりすることがある。


だからといって人前で喋ることが苦手というわけでもないのに、「噛む」という「癖」をもってそういうことが不得手な人である、と誤解されてしまう。


のっちもそういった誤解を受けやすい人なんだろうけど、実際には伝えるべきこと、語るべきこと、をしっかりと持った人なんだろうな、と思います。


それが、分かりやすく形として現れているのがブログなんだろうな、と。


他人との距離感みたいなものがうまくつかめないところがあるのかな、と感じるのは彼女の文章の中、一つの記事の中に、敬語を使っている部分とそうでない、もっと気安い表現になっている部分が両方あるからで、どこまで相手との距離と縮めていいのか、甘えていい相手なのか、ちゃんとしてなきゃいけない相手なのか、とかそういうことの判断に苦労するタイプの人なのかもしれません。


ただ、僕がそういうのっちを(すごく遠く離れた距離からですけど)見ていて感じるのはとても穏やかで安定した情緒、みたいなものなんです。


のっちの穏やかさ、安定した情緒は、緊急時においても発揮されて、いざと言う時には頼りになる。

彼女の中に蓄積されたたくさんの言葉とともにそれは現れて、Perfumeというユニットが感情的に流されてしまいそうな時に現実に引き戻し、バランスを取っているんじゃないか、という気がしています。


あ~ちゃんという思いつめてしまいがちな女の子と、自分自身の中に厳しい批判者を存在させるかしゆか、という二人に、内弁慶だけれども穏やかで、いたって普通の女の子であるのっちが「後から加わった」ということは、あまり安易にこういう言葉を使ってはいけないのかもしれませんけど、天の配剤なのかも、と感じずにはいられません。


というわけで、これからも世界のブロガーさんには、なるべくマメに記事を更新してもらって、内なる言葉をファンに伝えて欲しいな、と思う雨の止んだ夜。


そうか~そうだよな、奈央さんのライブにはあの人たちも来るよな、当然。

参ったな、隅っこに隠れてようかな ▽-w-▽