ビタドロ~ションションションの時代に行く前に、ちょっとした疑問を提出。
Perfumeのプロデューサーとして起用された中田ヤスタカさんが、彼女たちを椅子に座らせた上で
「冷たく歌って(バリボリ←乾電池を食べる音)」
「そっけなく(ぺッ←乾電池の滓を吐き出す音)歌って」
と、感情を込めた歌い方を抑えるような歌唱指導をした、ということはインタビューで繰り返し語られる有名なエピソードですが。
果たしてそれ(歌唱指導)は成功していたのでしょうか。
そして、そもそも中田さんがPerfumeに提供した全国インディーズ期の楽曲は、「冷たく」「そっけなく」歌うことで、その世界観を伝えるのに相応しいものだったんでしょうか。
全国インディーズ期、特に前期の各曲はたしかに痛いほどにリアルな木の子さんの歌詞を、キャッチーなメロディと大胆なアレンジに乗せて歌う名曲ばかりです。
でも、やっぱり基本的には「アイドルポップス」「アイドル歌謡」だったんじゃないか、と思います。
テクノっぽくて、それでいてアイドルっぽくて、という依頼者からの注文に答えざるを得なかった立場の若いミュージシャンが、自分の志向するサウンドとのギリギリの接点で成立させた「テクノ歌謡」、それが全国インディーズ期前期の各曲だったんじゃないか、と。
僕には、「レシピ」も「ドーナッツ」も「メッセージ」も「モノクロ」も「コンドラ」も、「エレベーター」でさえある程度の感情を込めて歌った方がよりリアルに木の子さんの歌詞の世界観を伝えられたんじゃないのかな、と思うんです。
ですから中田さんの感情を込めさせない「歌唱指導」というのは、言われているような意図とは違って、上京してきて初めてのレコーディングに張り切りすぎて、感情を過多に込めてしまうティーンズアイドルたちへの牽制の意味合いが強かったんじゃないか、という気がするんです。
その「牽制」は半ば成功し、半ば功を奏しなかったんじゃないかな、と各曲を聴いて感じます。
14歳のPerfume各メンバーは、中田さんの許容範囲内ギリギリのところまでは感情を込めて歌えているんじゃないか、と思うからです。
CDの中から聴こえてくるPerfumeの歌声は、もしかしたら妥協の産物かもしれません。
抑えようとして抑え切れなかったプロデューサーと、不満たらたらなのに逆らえなかった少女たちとの。
しかし、そのギリギリの綱引きが、楽曲にほどよい緊張感のようなものをもたらし、絶妙な感情移入による歌唱を引き出したのかもしれない、と思うことがあります。
インディーズ期を通じてセンターを勤めたかしゆかの歌声は、確かにプロの歌手としては安定感に欠けたものだったのかもしれませんが、彼女の歌声ほど、木の子さんの描く薄闇の世界にふさわしいものはなかったんじゃないか、と思います。
ただ、それは現在の成功を知っているからこそ言えることなのかも知れません。
14歳のPerfumeたちには自分たちの経歴を無意味に貶められたかのような不満だけが残り、その不満はライブで晴らされたのかもしれません。
レコーディングの時には込められなかった感情をたっぷり込めて歌おうとしていたのかもしれない。
そしてそれは、サウンドプロデューサーや、そのプロデューサーに依頼を出したスタッフたちの許容範囲を超えてしまったのかもしれない。
ライブになると感情を込めすぎて歌ってしまうことで「テクノ歌謡」という特色が薄れてしまうことを憂慮した誰かによって、CD音源と生歌とのミックス、が考え出されたのかもしれないな、なんてことも考えてみました。
仮説は山ほど立てられても真実は(たぶん)一つ。
真実っていうほど確かな理由はなかったかもしれないし。
Perfumeのリップシンクの起源は、もう少し後の時代になりそうですね ▽・w・▽